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美しすぎる京都の日本庭園に引き込まれる。作庭家・重森三玲の世界とは?

京都のお寺の見どころのひとつ、日本庭園。四季折々の表情を見せる伝統的な庭園は、宗教的な世界観とともに、ひとつの芸術作品としてわたしたちを楽しませてくれます。そんな日本庭園の保存・発展に貢献した重要人物のひとりが、重森三玲(しげもりみれい)。昭和を代表する庭園研究家・作庭家で、NHK「日曜美術館」でも先日特集されました。 三玲の庭は伝統を重視しながらも、いつの時代に鑑賞してもつねに新しい発見があると言われています。今回は“永遠のモダン”を追及した重森三玲の代表的な庭をご紹介します。

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更新日: 2024年4月25日

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重森三玲について

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1896年、岡山に生まれた重森三玲。21歳の頃に画家を志し上京するも、才能を認められず挫折。芸術の研究家へと転向し、日本画やいけばな、茶道の研究に没頭します。

1934年(昭和9年)、京阪神地方に甚大な被害をもたらした室戸台風によって、京都の寺社・庭園もまた壊滅的なダメージを受けますが、建物とちがって設計図等の資料がほとんど残されていない庭園は、修復の糸口すらつかめず、暗礁に乗り上げます。このことが転機となり、三玲は日本庭園の研究と独自の測量調査を開始。3年間で300にもおよぶ庭を調査したといいます。

精力的な測量調査、日本庭園の歴史研究を続けるうち、明治以降、庭園の伝統が正しく継承されていないことに気付いた三玲は、危機感と使命感をもち、自ら庭園の創作に関わることを決意します。

そうした活動のなかで、三玲の心を奪ったのが「枯山水」という様式。室町時代からの伝統をもつ日本庭園の技法で、池や遣水などの水を使わずに海や山の風景を表現したものです。波打つような水面、波紋の広がりを思わせる再現は、じっさいの庭を前にすると鑑賞者の動きに合わせて風景の流れが変化するのを体感できます。

日曜美術館:重森三玲特集について

永遠のモダン 京の春・重森三玲の庭|NHK 日曜美術館

昭和を代表する作庭家・重森三玲(1896~1975)。日本庭園の伝統を徹底的に研究し、そこに独自の感性と哲学を加えることで、“永遠のモダン”を生み出した。番組では、司会の井浦新、ジャズミュージシャンの菊地成孔、そして作家の高橋源一郎が、三玲の庭との対話を繰り広げる。

今回は番組内で紹介された庭園を中心に、三玲の美しい庭を紹介したいと思います。

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■東福寺(とうふくじ)

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東福寺は臨済宗の東福寺派大本山。1236年に摂政関白・九条道家によって創建され、円爾弁円(聖一国師)により開山しました。禅宗伽藍を代表する国宝・室町最古の三門をはじめ、重要文化財である浴室、東司(便所)禅堂など、室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が残っています。境内の通天橋は紅葉の名所としても有名です。

本坊庭園(方丈八相庭園)

本坊庭園 見取り図

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東福寺本坊の庭園は、東西南北4つの枯山水によって構成されています。『日本庭園史図鑑』全26巻を発刊した直後の昭和14年、当時43歳の三玲が手がけた、本格的なデビュー作としても重要な庭です。禅の教えである「一切の無駄をしてはならない」という教えに従い、本坊内にあった材料は、すべて廃棄することなく、もう一度再利用するという厳しい条件のもとで作庭が行われています。

東・南・西・北と、方丈を中心とした四方に作られ、それぞれの表現が異なる設計でありながら、全体のストーリーが繋がるような構成となっている点が大きな見どころです。

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東庭のモチーフは「北斗七星」。日本庭園と四神相応の繋がりが深いや、星は必ず東から昇っていくこと等を意図を込め、“足元に宇宙を見る”という日本庭園史上初めて星座表現した庭です。円筒の石は不要になった柱を再利用したもの。次につづく南側の「動」の空間への予感を秘めた「静」の空間でもあります。

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南庭のモチーフは「四つの神仙島」。幾何学模様の波と、そこに立つ力強い石組は不老不死の仙人が住む島をテーマにした空間です。6mほどの長い石を、立石とのバランスをとりながら横に寝かせるといった石の扱いは、当時はほとんど前例がないものでした。

静かな波のさざめきのなかに、ところどころ波紋が広がるような「水面」は、自分が動くことで、海の波が動いているようにも見え、ぜひ生で体験してみたい所のひとつ。水を使わずに山水の風景を表現する枯山水の魅力がきわだちます。伝統を踏襲しながらも、モダンな印象を強く受ける庭です。

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西庭は、白砂とサツキの刈込の大市松模様「井田の庭」。市松は日本の伝統的な紋様で、桂離宮内の松琴亭の襖や床に使用されてきました。

後にみる北庭と同様、この本坊内に使われていた材料で、敷石の縁石(カズラ石)を再使用してできあがったのがこの西庭。カズラ石や板石は直線的な形状のために、敷石などの歩く場所などに使う際に好適な材料である反面、自然の山を模した築山や石組、樹木などを植えたところに使うというのは、通常の庭造りでは考えられない材料でした。三玲がそこで出した答えが「市松」だったのです。

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西庭の大市松から連続的に繋がる隣の庭、北庭「小市松の庭園」。ひとまわり小さくなった小市松は、東北方向の谷に向かって徐々に姿を消していき、向こうの景色にだんだんと馴染んでいきます。石と苔の緑のコントラストが鮮やかな空間です。

臨済宗大本山 東福寺(とうふくじ)

京都府京都市東山区本町15丁目778
075-561-0087
9:00~16:00(4~10月)/8:30~16:00(11~12月初旬)/9:00~15:30(12月初旬~3月末)
400円(小中学生300円)
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■龍吟庵(りょうぎんあん)

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「龍吟庵」は東福寺の塔頭第一位の位置に置かれています。方丈は室町時代初期の作で、応仁の乱以前の古制を残す日本最古の方丈建築で、書院造と寝殿造の手法が融合した名建築です。こちらには、1964年に三玲が作庭した東・西・南に配置された三つの枯山水庭園「無の庭」「龍の庭」「不離の庭」があります。

※塔頭(たっちゅう):祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院。

白砂を敷いただけの前庭は、ちょっと意外なほどシンプルな印象を受けるかもしれません。ですが、その奥に稲妻をモチーフにした竹垣が置かれていることに気づきます。波ひとつない穏やかな海、そこへ突如激しい雷が鳴り響く。その竹垣の奥の庭へと、さらに進むと・・・。

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雲から顔を出す龍の姿! 黒い砂が雲、白い砂が海をあらわす龍が舞う庭です。「“永遠のモダン”を創り出すことが芸術だ」と繰り返し説いたという、重森三玲の鬼才ぶりを感じさせる空間となっています。

龍吟庵(りょうぎんあん)

京都府京都市東山区東山区本町15丁目812
075-561-0087
9:00~16:00(3月14日~16日、11月1日~12月6日のみ特別公開)

■光明院(こうみょういん)

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「光明院」は東福寺の塔頭。白砂と苔の間にいくつもの石を並べた枯山水庭園「波心庭」があり、春は桜とつつじ、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪化粧と四季折々の顔を見せ、「虹の苔寺」とも言われています。

起伏を活かしたその庭園には、下記の写真奥にある石から放射線状に引いたライン上に、それぞれの石は配され、天からの光を仰ぎみるような光景が広がっています。

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光明院(こうみょういん)

京都府京都市東山区本町15丁目東福寺山内

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