このページではオスティア・アンティカにある史跡・遺跡を紹介しています。かつて存在した王朝や人々の生活をしのばせる遺跡・史跡は、歴史のロマンに満ちた場所です。今は失われた王国の跡地を自分の目で見る体験は、写真や映像では味わえない旅の醍醐味です。カンボジアの寺院遺跡、アンコール・ワットは世界で最も有名な遺跡の一つ。カンボジア国旗の中央にも描かれており、一国の歴史を象徴する場所です。世界各国から多くの参拝客・観光客が訪れ、仏教僧侶が祈りを捧げています。インカ帝国の遺跡であるペルーのマチュ・ピチュは、太陽をまつる神殿や段々畑など、はるか昔に栄えた文明の痕跡を残しています。標高2000mを超える山上にある様子はまさに空中都市。世界有数のパワースポットとしても知られています。
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オスティア・アンティカ - 城・宮殿,寺院・教会,史跡・遺跡,モダン建築,広場・公園
オスティア・アンティカはイタリア・ラツィオ州ローマにある港湾都市遺跡です。紀元前7世紀後半に王政ローマ第4代の王であったアンクス・マルキウスが設けたという神話がありますが、考古学的な裏付けは現在発表されていません。 ローマ市内からもアクセスしやすい観光スポットで、オスティア・リド線を利用してオスティア・アンティカ駅で下車するとすぐにアクセスできます。広大な遺跡は迷路のように広がっていて、所々に設けられている見晴らし台に登れば街全体を見渡すことができます。また、遺跡内にはメインストリートであるデクマーノ・マッシモやフォンターナ通り、オスティア・アンティカの劇場など見所もたくさんあります。 この記事ではオスティア アンティカでオススメの観光スポットを紹介しています。ぜひ参考にしてみてください。
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オスティア・アンティカ - 史跡・遺跡,旧市街・古い町並み
オスティア・アンティカは、かつて古代ローマ時代に存在していた港湾都市の遺構。ローマの南西22kmのテヴェレ川の河口にあった都市で、現在は河口部が土砂で埋まってきため、場所的には海岸線から離れた内陸に位置しています。 紀元前4世紀に築かれた都市で、交易・軍事の両方で重要な役割を果たしていました。そのためさまざまな施設が建設されており、それが遺構として発掘されていきました。 その中でもぜひ見ておきたいのがネプチューン浴場。海の神・ネプチューンや、海神の妻・アンフィトリテなどのモザイクが、今も鮮やかな形で残されています。そのほか神殿のカピトリウムも見どころ。
オスティア・アンティカ - 城・宮殿,史跡・遺跡
ユリウス2世はオスティアの枢機卿で、後にローマ教皇になった人物。ローマや教会を他国の脅威などから守るために、自ら戦いに打って出るほどの行動派だった反面、芸術の庇護者としても名を残しています。ラファエロやミケランジェロが、ユリウス2世の援助を受けていたという有名なエピソードも。 そのユリウス2世が1483年に建造した要塞が、遺跡として今も残っているユリウス2世の城です。城の規模はそれほど大きくなく、円筒形の砦があるのが外観の特徴となっています。 その後はスペイン・フランス戦争でも戦場となったり、一時期は刑務所の役割も果たすなど、数奇な運命をたどった城として知られています。
オスティア・アンティカ - モニュメント・記念碑,史跡・遺跡,モダン建築
ローマのアウレリアヌス城壁にあるのがピア門。教皇ピウス4世が命じて造らせた城門で、設計したのがあのミケランジェロということでも知られています。 1561年に着工し、ミケランジェロが亡くなった後の1565年に竣工。またこの門にはミケランジェロ設計というトピックのほかに、「ピア門の裂け目」というエピソードも。 ピア門の近くには砲弾が当たってできた城壁の裂け目があり、1870年にそこからローマにイタリア王国軍が侵入し、イタリア統一がなされたというもの。ピア門の外側にはそれを記念して、1932年にはムッソリーニにより、記念碑が建てられています。
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