トラベルブックのすべてのスポットからセルチュクに関するスポットを人気順で探すことができます。世界の国、都市、エリアや目的、シーンにあったスポットを絞り込むことが可能です。王道の観光コース、穴場、秘境、お土産情報など様々なスポットから、あなたにぴったりな旅行情報を見つけてみましょう♪
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セルチュク - 博物館
トルコの西南部、イズミール県セルチュク市にあるのがエフェソス考古学博物館です。オトガルのバスターミナルより徒歩約5分で、アクセスも抜群。 エフェソス考古学博物館には約25000点が収蔵されており、そのなかからエフェソス遺跡や周辺から出土した約1000点を展示。彫像やレリーフ、アクセサリーや剣、壷や生活道具、コインなどたくさんのものが、住宅・墓地・泉など発掘場所ごとにわかりやすく展示されています。 代表的なものは、エフェソス遺跡から出土した2体のアルテミス像で、紀元前1世紀と2世紀のものとされています。理解を深めるために、エフェソス遺跡の前後に訪れるのがおすすめです。
セルチュク - 大衆料理・ローカルフード
気取らない家庭の味"ケアブ"が旨い! 家族ぐるみで経営をしている、素朴なケアブが頂けるお店。エフェソス考古学博物館のすぐ近くなので、帰りによる事ができます。美味しいケアブを食べた後は、隣にあるじゅうたん屋でお土産を選んでみては?実はケアブ屋さんが同時経営しているお店なのです。値引きしてくれるかも?
セルチュク - 史跡・遺跡
“世界七不思議”のひとつ 世界七不思議のひとつに挙げられているアルテミス神殿跡は、現在は柱が1本だけという寂しい遺跡ですが、残された大きな円柱の柱が127本も並べられていた神殿ということを想像しながら見学してみると壮大さに驚きます。アルテミス神殿を復元した模型がエフェス考古学博物館に展示されています。
セルチュク - 史跡・遺跡
トルコの西南部、イズミール県セルチュク近郊にある世界遺産の古代都市エフェソス。現在はエフェソス遺跡としてたくさんの人が訪れており、エフェソス遺跡の数ある歴史的建造物の代表的なものの1つが、エフェソスの大劇場です。 ヘレニズム時代に建設されたものといわれており、ローマ時代に拡張工事が行われています。その規模は壮大で、高さは約18mの3階建て、観客席は22段で約25000人を収容したそうです。 丘を背にした半円形のエフェソスの大劇場は、すり鉢状の構造から音響効果も良く、現在でもコンサートやオペラが開催されています。
セルチュク - 寺院・教会
一部“アルテミス神殿”石 トルコ西部の街セルクチュにあるモスクで、セルジュク朝とオスマン朝の2つの建築様式の過渡期に建設され、古代都市エフェスにあったアルテミス神殿の石材が一部に使われていることで有名です。城壁のような高い壁に囲まれ、門をくぐると広い中庭が広がります。内部は天井高く、美しいレリーフが残っています。
セルチュク - 大衆料理・ローカルフード
素朴さが嬉しい"チョップシシ" ファーストフード店のように気軽に立ち寄れるレストラン、小さなお店ですが素朴さにホッとします。こちらでのおすすめチョップシシ、やわらかい羊肉が焼き鳥のように串に刺さってきます。付け合わせにはトマトと野菜。他にはスパイスのきいたココレッチ、パンに具を挟んだローカルなお品。こちらもなかなかです。
セルチュク - 寺院・教会,史跡・遺跡
トルコ国鉄のセルチュク駅より徒歩約10分、アヤスルクの丘にあるのが聖ヨハネ大聖堂です。イエス・キリストが十字架にかけられる際、母のマリアを聖ヨハネに託しました。 聖ヨハネはマリアとともにエフェソスを訪れ、2人ともこの街で生涯を閉じたとされています。聖ヨハネはアヤスルクの丘に埋葬され、4世紀にはその墓の上に礼拝堂が建設されました。6世紀には聖堂に改装されましたが、自然災害などにより崩壊。 現在は部分的に修復されており、聖ヨハネの墓も見られます。さらにセルチュクの街並みや、アルテミス神殿跡などを臨む絶景スポットとしても人気です。
セルチュク - 寺院・教会
トルコ国鉄のセルチュク駅より徒歩約10分、アヤスルクの丘のアルテミス神殿と聖ヨハネ大聖堂の間にあるのがイサベイモスクです。 1375年にスルタンのアイドゥノグル・イサ・ベイの命によって建築され、セルジューク建築のなかで、もっとも美しいものの1つといわれています。 東西のメインエントランスがあり、西側の壁は大理石で美しく覆われています。幾何学的な形と絵柄で飾られた西門、セルジューク様式のタイルで彩られたファサード・窓枠・モスクのドーム、エフェソス遺跡から運び込まれたものが使われている中庭とドームの柱は必見です。
セルチュク - 史跡・遺跡
キリスト教の“聖地” キリストの死に傷付き、悲しみを背負い彷徨った聖母マリアと聖ヨハネは、辿り着いたパナヤカプルの丘に石造りの小さな小屋を建てました。そこで聖母マリアが余生を過したといわれる家は、発見後に修復して復元され、多くの観光客や多くのキリスト教徒が巡礼に訪れています。
セルチュク - 史跡・遺跡
世界遺産のエフェソス遺跡のなかで、訪れる人を驚かせているのが、古代の公衆トイレです。この古代の公衆トイレは、メインストリートのクレテス通りのそばにあり、石造りのコの字型のベンチに穴が開いた、仕切りがない便器が並んでいます。 一見すると穴が開いただけの便器ですが、穴の下をのぞいてみると、2mほど掘り下げられており、現在は干上がっていますが当時は水が流れており、2000年以上昔は水洗トイレであったとされ、その技術の高さに感心します。 仕切りがない古代の公衆トイレは、情報交換などが行われる社交の場でもあったそうです。
セルチュク - 寺院・教会,史跡・遺跡
トルコの西南部、イズミール県セルチュク市より車で約15分の山の上にあるのが、メリマナです。The Virgin Mary's House(聖母マリアの家)ともいわれ、その名の通りイエス・キリストの母マリアが、人生の最後の年を過ごした場所といわれています。 正確な歴史的史実はありませんが、西暦37~45年に住んでいたとされ、19世紀にナイチンゲールの丘の樹木が生い茂るなかに、古い家屋敷の基礎の土台を発見。現在は修復され、礼拝堂となっています。 カトリック教会には認められていませんが、過去に数名のローマ教皇が訪れており、事実上のキリスト教の聖地となっています。
セルチュク - 史跡・遺跡
テラスハウスは、エフェソスのブルブル山の斜面、ハドリアヌス神殿の向かいにあります。ヒポダミアン計画という、道路を直角にするための都市計画により建設された、「豊かな家」や「金持ちの家」といわれる高級住宅街です。 3つのテラスがあり、6つの住宅ユニットで構成されたテラスハウスは、もっとも古いものが紀元前1世紀に建設され、7世紀までは実際に使用されていました。 現在は、建物で保護・修復された2つのテラスハウスが博物館として公開。当時の人々の生活が垣間見られ、美しいモザイクやフレスコ画が人々を惹きつけています。
セルチュク - 広場・公園,旧市街・古い町並み
トルコ国鉄のセルチュク駅よりオルタクラル(Ortaklar)/アイディン(Aydın)行の列車に乗り、チャムルク駅で降り約1km先にあるのが、カムリク機関車博物館(チャムルク鉄道博物館/チャムルク蒸気機関車博物館)です。 旧チャムルク駅を利用した鉄道の屋外博物館で、トルコ最大の鉄道博物館であり、ヨーロッパでも最大の蒸気エンジンのコレクションの1つです。 1891年~1951年に作られた、ドイツ・スウェーデン・アメリカ・フランスなどの、33台の蒸気機関車が展示されています。遠くからの圧巻の風景はもちろん、かなり近くから見ることもでき、鉄道好きにおすすめの観光スポットです。
セルチュク - 美術館
エフェス遺跡の“コレクション” セルチュク市内にある考古学博物館で、エフェス都市遺跡で発掘された出土品の数々が展示されています。その中でも細かく施されたレリーフが特徴の2体のアルテミス像やアルテミス神殿を復元した模型など興味深い展示品がありエフェス遺跡と併せて行くといい博物館です。
セルチュク - 旧市街・古い町並み
“ワインショップ”が並ぶ小さな村 イスタンブールの南、エーゲ海地方に位置する小さな村。「可愛い」という意味をもつ「シリンジェ」は、白壁にオレンジ色の屋根と一軒ごとに違った彫刻をされている窓など可愛い家が並び、散策するのが楽しい村。昔からワイン作りが盛んでワインショップやお土産屋さん等がたくさん並んでいます。
セルチュク - 城・宮殿
セルチュク城は、エフィソスのアヤソルクの丘の上に残る城塞です。丘は30mほどの高さですが、エフィソスの遺跡群からアルテミス神殿へと向かう重要なルートに位置しています。 アラブの侵入を防ぐためビザンチン時代に築かれた城塞からは見はらしも良く、この場に城を築かれた理由が理解できる風景です。またこの丘は、聖母マリアと12使徒の1人ヨハネがエレサレムを追われたあとに晩年を過ごしたと伝わる聖ヨハネ教会があります。 古代の風呂テルマエの跡も残っており、エフィソスの遺跡をめぐる拠点てして欠かすことのできない場所です。
セルチュク - 洞穴・鍾乳洞
七眠りの洞窟(セブン・スリーパーズ・ケーブ)は、エフィソス近くのピオン山にある洞窟です。この洞窟にはこのような物語が残されています。 250年頃、皇帝デキウスによるキリスト教やイスラム教への厳しい迫害から免れるために、エフィソス郊外の洞窟に隠れた7人の若者がいました。なんと彼らは300年後に姿を現し近くの村まで下りて食料を求めました。出されたコインが大昔のものだと気づいた村人は時の皇帝に話をし、まさかと思いながら洞窟へと向かいましたが到着したときにはすでに7人は亡くなっていたという内容です。中世の9言語で記述が発見されています。
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