このページでは滋賀にある史跡・遺跡を紹介しています。かつて存在した王朝や人々の生活をしのばせる遺跡・史跡は、歴史のロマンに満ちた場所です。今は失われた王国の跡地を自分の目で見る体験は、写真や映像では味わえない旅の醍醐味です。カンボジアの寺院遺跡、アンコール・ワットは世界で最も有名な遺跡の一つ。カンボジア国旗の中央にも描かれており、一国の歴史を象徴する場所です。世界各国から多くの参拝客・観光客が訪れ、仏教僧侶が祈りを捧げています。インカ帝国の遺跡であるペルーのマチュ・ピチュは、太陽をまつる神殿や段々畑など、はるか昔に栄えた文明の痕跡を残しています。標高2000mを超える山上にある様子はまさに空中都市。世界有数のパワースポットとしても知られています。
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滋賀
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米原・彦根・長浜 - 史跡・遺跡,広場・公園
豊公園は、織田信長による浅井攻めの功績により、信長から北近江を与えられた羽柴(豊臣)秀吉が初めて築いた居城である長浜城跡に明治42年に作られた公園で、豊臣秀吉にちなんで「豊公園」と名付けられました。 園内には、秀吉と長浜に関する資料や築城ジオラマが展示された長浜城歴史博物館や音楽が流れる洋風庭園や噴水、児童公園、テニスコートがあります。 自然豊かな公園内には、築城主、豊臣秀吉の象や太閤井戸などの遺構が見られます。また春には約6000本のソメイヨシノが咲き、城の天守閣(展望台)から見る桜の眺めは壮観です。
米原・彦根・長浜 - 史跡・遺跡
松原下屋敷(お浜御殿)は、江戸時代後期に琵琶湖畔に造営された彦根城主、井伊家の下屋敷です。 明治4年(1871年)の廃藩置県後には、井伊家当主の邸宅として近年まで使用されていましたが、彦根市が公有化し、現在では春と秋の年に2回一般公開しています。 お浜御殿庭園の最大の特徴は、琵琶湖の水位の変化に応じて庭園内の池の水も満ち引きする日本で唯一の淡水の「汐入式」の庭園です。また約2万㎡の敷地の半分を占める庭園内には、築山や石燈籠、石組がちりばめられ、池の西側部分は州浜が広がり、美しい景観を作り上げています。
米原・彦根・長浜 - 史跡・遺跡
埋木舎は、13代藩主、井伊直弼が17歳から15年間過ごした彦根藩の屋敷で、国指定特別史跡に指定されています。 直弼はこの屋敷で国学、曹洞禅、儒学、洋学、剣術、居合、槍術、弓術、砲術、柔術などを学び文武両道を取得したと言われています。埋木舎の名は、自らを花の咲くこともない(世に出ることもない)埋もれ木と同じだとした自身の和歌にちなみ直弼は名づけたものです。 屋敷内には、直弼ゆかりの資料が展示され、直弼と彦根藩の歩みを学ぶことができます。現在は直弼の側近だった大久保小膳の子孫が当主を務めています。
米原・彦根・長浜 - 史跡・遺跡
慶雲館は、明治天皇が京都から琵琶湖汽船経由で長浜に来られた時に使用する「お休み処」として、実業家の浅見又蔵が私財を投じて建てた迎賓館です。 「慶雲館」という名前は、その荘厳美麗な姿からご行幸に同行していた当時の総理大臣、伊藤博文により命名されました。明治天皇行幸25周年の明治45年には、平安神宮神苑など数多くの造園を手がけた近代日本庭園の先覚者、七代目小川治兵衛が池泉回遊式の庭園を造営しました。 平成16年に一般公開。滋賀県湖北地方の春の風物詩のひとつとして、長浜盆梅展の会場になっています。
米原・彦根・長浜 - 城・宮殿,史跡・遺跡
佐和山城跡は、彦根駅の北側にある佐和山に残る城跡で、近江守護佐々木氏によって築城されました。 天正18年(1590年)石田三成が佐和山城主となってから、5層の天守を構えた重厚な城であり、不破の関があった関ケ原に近くにあったことから交通の要衝でした。石田三成が関ケ原の戦いで破れた後、井伊直政が新しい城主になりましたが、慶長11年(1606年)彦根城築城にともない佐和山城から石垣や建物などの資材が彦根に持ちだされ廃城になりました。 現在城跡には佐和山城趾の石碑があるのみで、建物や石垣は残されていませんが、佐和山頂上からは彦根の市街地を一望できます。
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