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ローマ人に破壊されたカルタゴ
カルタゴは海洋民族であったフェニキア人が、紀元前9世紀~8世紀頃にアフリカ北部の現チュニジアに築いた町です。地中海での輸出入で豊かな富をもち、領土を拡大しました。しかし、やがてローマ帝国が勢力を伸ばしてくると、3度に渡るポエニ戦争をはじめとした争いが両者の間に起こります。
その際、カルタゴの将軍ハンニバルは、ローマを大いに苦しめ、戦いぶりは後世にまで語られるほどでした。その活躍ぶりは、ローマの人々でさえ畏敬の念を抱いたといいます。しかし、ハンニバルの活躍もむなしく、カルタゴは滅亡してしまいます。街の建物は、ローマにより、ことごとく破壊されてしまいました。カルタゴの中心地であったチュニス県のカルタゴにでさえ、いくつかの遺構があるのみで、現存する遺跡は、ほぼローマ時代のものです。

©UNESCO/Vincent Ko Hon Chiu
ヨーロッパの人にとって、カルタゴは遠いアフリカの話ではありません。例えば、ハンニバルは、現在のスペイン・アンダルシアにあるリナレスという街のお姫様イミルセと結婚していました。そのため、スペインにはハンニバル、イミルセという名前のホテルやカフェがたくさんあります。
また、カルタゴを建国したという伝説をもつディドというお姫様の話はオペラとしても有名です。イギリスでテレビドラマ化までされたバロック時代の作曲家ヘンリー・パーセルがディドを題材にしたオペラが特に有名で、ヨーロッパ中で今も上演されています。そのため、ヨーロッパの人にとっては、遠い時代の物語を夢見て今もカルタゴに訪れます。
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古代カルタゴと古代ローマの遺跡巡り
ビュルサの丘

ビュルサ(フランス語表記Byrsa)にはカルタゴの城塞が築かれていました。ビュルサは、フェニキア人の言葉で城塞を意味するという説と、カルタゴの国を作ったというディードが牛の皮の大きさの土地を受け取るという神話から、牛の皮を意味するギリシア語が転じてビュルサになったという二つの説があります。
国立カルタゴ博物館

ビュルサの丘には国立カルタゴ博物館が1875年に開館しました。カルタゴの遺跡はほとんど残っていないと言われていますから、そのわずかに残った貴重な遺跡です。行く前に少し勉強してから行くとさらに展示物のことが理解できて、楽しめます。

Carthage National Museum
- Colline de Byrsa Carthage 2016 Tunisia
- +216 71 730 036
- 9:00〜17:00
- 無休
トフェ(または、トペテ)

タニト神とバール・ハーモン神を祀った神殿です。古代カルタゴ時代の数少ない遺跡のうちのひとつです。古代フェニキア人の宗教では、生贄をしていたあとが残り、数多くの小さな子どもの骨が葬られています。古代ローマ人、プルタルコスの記述に基づいて、これは幼児を生贄にしていたことだと人々は信じてきましたが、最近では考古学の世界で、少し疑問が持たれるようになっています。
戦傷者であったローマ人が必要以上にカルタゴ人を残酷な民族であると信じ込ませようとしたかもしれません。この時代は、幼児の死亡率も高く、また火葬をする風習もありました。また、カルタゴ人の記録には、ヤギや牛など家畜を生贄にしたという記録がありますが、幼児を生贄にしたという記録は見つからないということで、人の生贄文化は誤りではないかとされてきているのです。

紀元前310〜290に作られたと見られるカルタゴの貨幣にはタニトの顔が施されています。タニトはバール・ハーモンも妻でしたが、いつも表に出るのはタニトでした。それにしても、紀元前にこのように精巧な貨幣が鋳造されていたという事実も見逃せません。
古代カルタゴの軍港

現在では静かな湖のように見えますが、古代カルタゴの軍港で、南側は商業用の船のための港でした。この港が、古代カルタゴ繁栄の鍵を握っていたのです。ここから軍船が出航し、イベリア半島を征服していきました。古代カルタゴの軍港のそばに海洋博物館があり、古代カルタゴ時代の港の模型なども見られます。月曜日はおやすみ。
古代カルタゴ時代の遺跡で残っているのは以上になります。それ以外はローマ時代に作られたものです。
古代ローマの遺跡:アントニヌスの共同浴場その他
このアントニヌスの共同浴場は、紀元2世紀にローマの五賢帝の一人アントニヌス・ピウスによって建造された共同浴場です。アントニヌスの共同浴場は海に面したかなり大きな建物で、もともとは100以上も部屋があり、装飾が素晴らしく、床にモザイクが、壁にフレスコ画がたくさんあったと言われています。一部の床は残っており、モザイク模様が見られます。
アントニヌスの共同浴場が古代ローマ遺跡の中では一番保存状態も良く、見ごたえがあります。
これもアントニヌスの共同浴場の一部です。かなり大きな建物であったことが想像されます。古代ローマの時代には、共同浴場はまた違った意味合いも持っていたのでしょう。
そのほか古代ローマ人の住居跡、ローマ劇場、円形競技場などがあります。

Wikipedia
地上にある建物は倒れて、消えてしまうものも多いのですが、道や階段、橋などはこのようにきちんと残っています。古代ローマ人が歩いた同じ道や階段を歩いて、遺跡を実感できます。
ローマ劇場です。この円形になった形がローマ劇場の特徴です。ローマ時代には、サーカスや劇場、競技場が作られ、それが人々の楽しみでした。ローマ時代に栄えた場所には、必ず、ローマ劇場が残っています。

カルタゴへのアクセス
カルタゴはチュニジアの首都チュニスから約12kmにあります。日本からチュニスへの直行便はありませんから、ヨーロッパまたは中東、アジアを経てチュニジアに入ります。地図を見るとイタリアのシチリア島に近い、地中海に面した国だということがわかります。
そのため、アリタリア航空でイタリア経由というのが一般的方法です。また、便が多い、パリ経由を使うのも便利です。チュニジアはフランス領であった時代があるため、今でも公用語はアラビア語、ベルベル語、そしてフランス語です。フランス語が通じる国ということでフランスから観光客が多いので便もかなり頻繁に出ています。リーズナブルな便なら、ドバイ経由のエミレーツ航空です。エミレーツ航空は、サービスの良さと安さで人気の航空会社です。
入国には、3ヶ月以内の滞在の場合、ビザは不必要です。パスポートの有効期間が3ヶ月以上残っているという条件がありますから、行く前に確認しましょう。
空港からタクシーで、予約しているホテルまで行きます。空港から出ているタクシーは、メーターに出る料金とは別に特別料金がプラスされます。ラ・マルサ(La Marsa)に宿泊し、カルタゴへは電車TGM (Túnez – Goulette – Marsa)で行くのが一番おすすめです。例えば、ホテルGolf Royalは駅から300mですから、ここに泊まるとカルタゴに簡単に行けます。チュニス市街地に宿泊の場合はカルタゴまでタクシーで20分くらいです。
チュニスでおすすめグルメ
Restaurant l'ardoise
比較的リーズナブルなイタリアンレストランです。ヨーロッパでは一歩イタリアを出るとなぜかスパゲティーが茹ですぎになったりと、おいしいイタリアンに滅多にであえません。しかし、チュニスのイタリアンはイタリア人も太鼓判を押すおいしさです。地中海の海の幸もたっぷり使ったヘルシーなイタリアンがメインです。

Restaurant l'ardoise
- 30 rue Felicien challaye, Tunis 1002, Tunisia
- +216 71 892 139
- 12:00〜16:00
- 日曜日
イタリアンだけではなく、フランス領であったこともあり、フランス料理、またチュニジアの伝統料理もフレンチの影響で、おいしくなっています。どこのレストランも当たり外れがなく、安心して入れます。
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