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【京都】レトロな街並みもステキ! 明治維新の面影を感じる名所6選

いにしえの都と、明治レトロ。京都といえば有名社寺はじめ木造建築のイメージが浮かびますが、レトロな洋風建物もたくさんあり、和洋がしっくり馴染んだ街。日本で初めてのチンチン電車、日本で初めてのガス燈、といった風に「日本で初めての・・・」が意外と多いんです。 幕末には坂本竜馬や新撰組が活躍した京都ですが、明治維新で東京に都を持っていかれてしまい、公家たちも引っ越してしまうわ、人の数は減るわで、京町衆は意気消沈。しかし何とか街を復興させようと先人たちは、いちはやく舶来ものに注目し、外国の知識・技術を導入していきます。建物や遺稿・遺産をたずね当時の面影をしのんでみる、ちょっと一味違う京都観光はいかがでしょうか。

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更新日: 2023年11月21日

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人気観光地・京都について紹介

京都の気候と観光シーズン

京都の市内は、京都盆地と言われており、夏は暑く、冬は厳しい寒さで知られています。そんな京都の観光のベストシーズンは、春と秋。花の美しい春や紅葉の景色を楽しめる秋は、気候も良く、街歩きにも適しています。ただし、川床や納涼祭などを楽しむのなら夏、冬には、寺社仏閣の特別公開なども行われているので、目的によってはどの季節も魅力があります。

京都の観光エリア

観光スポットが多いことで知られる京都。京都タワーで知られる京都駅周辺エリアや、京都の繁華街四条河原町を中心に、花街・祇園や鴨川などがある祇園・河原町エリア、そして、美しい自然の景色や寺社仏閣で四季を通じて人気の嵐山エリア、京都の奥座敷・貴船エリアなどを中心に多くの観光客が訪れています。

京都に多いレトロな街並み

寺社仏閣などの純日本文化の景色を想像しがちな京都ですが、レトロな洋風建物なども多い街となっています。公家文化で知られる京都は、実は、明治以降、海外からの文化をいち早く取り入れていた街でもあるのです。喫茶店文化が根付いていたり、パンの消費量が多かったり、フランス料理店が多いなど、ハイカラな街でもあり、おしゃれでレトロな街並みを楽しめるスポットもたくさんあります。

京都のグルメやお土産を紹介

京都で人気のグルメ

京都と言えば、上品な味わいの京料理や、ほっこりとするおばんざい、豆腐や湯葉などが有名。市内には、たくさんの京都らしい食事を楽しむことができるお店があります。ちょっと敷居が高いように感じる京料理ですが、ランチなどでは気軽に楽しむことができるようになっているお店もたくさんあるので、ぜひ京料理を堪能してみて下さい。

京都の今話題のお土産はこれ!

お茶や漬物、和菓子などのイメージが強い京都のお土産。もちろん定番のお土産も良いですが、今話題になっているのが「シェ・アガタ」の「挽きたて抹茶の贅沢テリーヌ」!お取り寄せでもなかなか手に入らないと言う話題のケーキです。宇治の高級抹茶がたっぷり使用されたシンプルで濃厚なチョコレートケーキで、1人1本限定になっており、手に入れられればラッキーな人気商品です。

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■島津記念館 ~時代を先取りした発明家~

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最初におすすめする京都で明治維新の面影を感じる名所は「島津記念館 ~時代を先取りした発明家~」。京都の「ベンチャー企業」といえば、ワコールに任天堂にオムロン等が有名ですが、なかでも筆頭にあげられるのが島津製作所です。家紋ならぬ社紋は、丸に十字。サラリーマン研究員・田中耕一さんが、ノーベル賞を受賞したことで有名になりました。

この島津製作所を創業した島津源蔵(げんぞう)が、独自に開発した秤(はかり)はじめ測定・分析の機器を並べて売っていたお店が、中京区の木屋町二条に島津創業記念館として残されています。木屋町二条は当時、京都の中心地。高瀬川の水運を使って、大阪と公益が栄えていました。お店は当時から美しい格子の外壁。いまは記念館として、科学の歴史と、発明のヒラメキを展示しています。

長い歴史のある島津ですので、たくさんの発明品の数々。創業当時の雰囲気と歴史を感じる落ち着いた空間に、ストーリー・テーマに沿った展示に興味シンシンです。とくに注目は、日本初のX線撮影や日本初の蓄電池。「日本初」という技術、そして記録、さらに世界から注目あつめる島津の誇りが凝縮された展示ばかりです。

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仏具屋の二男として生まれた初代、島津源蔵。家業を継いだあと、水運に恵まれ、殖産興業、科学振興の中心として栄えた、ここ木屋町二条に店を開業しますが、そのころから理化学を授業し、実業を指導する公設機関・舎密局(せいみきょく)に出入りをはじめます。舎密局で、さまざまな技術や知識を身につけた源蔵は、資源の乏しい日本の進むべき道は科学立国であるとの理想に燃え、科学知識の普及を通じて社会に貢献することを目指しました。

初代源蔵の長男、梅治郎が2代目島津源蔵として後を継ぎますが、なんと15歳で、電気の発生を実演できる感応起電機を製作するなど早くから才能の片鱗を見せ、後には「日本のエジソン」とも呼ばれるようになる稀代の発明家に。あわせて理化学器械の製造で始まった島津製作所を大きく発展させた実業家でもありました。X線が発見された翌1896年には、早くもX線写真の撮影に成功。1909年には国産初の医療用X線装置を開発します。 時代の先を見通し、科学に根ざした先人の思想が脈々と受け継がれている島津。ノーベル賞の輩出にも納得できますね。

そうそう、京都の大企業・日本電池のバッテリー「GSバッテリー」のGSは、ゲンゾー・シマヅの頭文字。こちらも功績をたたえ、綿々と受け継がれていますよ。

島津創業記念館

京都市中京区木屋町二条南
(075)255-0980
9:30~17:00
水曜日(祝日開館)、年末年始
京都市営地下鉄東西線・京都市役所前駅下車
http://www.shimadzu.co.jp/visionary/history/

■京都舎密局(跡地) 銅駝美術工芸高校(旧銅駝小学校)

2番目におすすめする京都で明治維新の面影を感じる名所は「京都舎密局(跡地) 銅駝美術工芸高校(旧銅駝小学校)」。島津源蔵が、出入りしていた官設の京都舎密局(せいみきょく)。
島津記念館からも近いので、跡地をたずねてみましょう。明治維新の直後は、列強の技術進歩に驚かされるばかりだった日本。福沢諭吉や森鴎外、夏目漱石らがヨーロッパで進んでいた学問を日本に取り入れようと努力します。

そのひとつが科学の分野。当時の明治政府はもちろん、天皇さんを持っていかれてしまった京都府が、殖産事業と教育事業を柱に理化学の試験・研究と教育を目的として官設(国立)の機関として力を入れたのが舎密局。中心人物は、当時2代目知事になった長州藩士・槙村正直と、その参謀だった会津藩士・山本覚馬でした。

舎密院は、ドイツ人学者らを招き、京都の伝統産業を始め、工業・化学の分野の産業を発展させる研究の一大拠点に成長。京都の陶磁器、織物、染色の改良実験をはじめ、日本初の石けんの製造、鉄砲水(ラムネ)など飲料の開発、七宝焼やガラスなどで大きな前進や成功がありました。理化学の授業・講義が、島津製作所創業者・島津源蔵らを育て、京都の近代産業の発達に大きな役割を果たしました。

残念ながら当時の建物は焼失していますが、跡地には80年前に建てられた、美しいアールデコ調の建物が出迎えてくれます。この建物は、京都市立銅駝(どうだ)尋常小学校、現在の市立銅駝美術工芸高校の建物です。 

京都市立銅駝美術工芸高等学校

京都市中京区土手町通り竹屋町下がる鉾田町542番地
075-211-4984
教育施設のため非公開。京都市営地下鉄東西線・京都市役所前駅、または京阪電車・神宮丸太町駅下車
http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/douda/

■ハリス理科学研究所 ~同志社ギャラリー~

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3番目におすすめする京都で明治維新の面影を感じる名所は「ハリス理科学研究所 ~同志社ギャラリー~」。京都を代表する大学、同志社。発祥の地は御所の北側に広がるキャンパスです。
新島襄(にいじまじょう)が設立した英学校が原点、早い時期からキリスト教の精神で教育が行われていました。創立当時のハイカラな学生生活を思い出させる、いくつものレンガ洋館の建物が、重要文化財として大切に今でも使われています。

1890年には、当時の私立大学としては珍しい理科系の学部が設置されます。それがこの建物、ハリス理化学校の校舎。理科教育機関設立のために寄付したハリス氏の名に由来します。現在では、同志社の歴史と新島襄の精神を、資料によって紹介する展示施設として公開され、こちらも重要文化財に指定されています。

しばらく前に、NHKの大河ドラマで話題になった新島八重は、同志社創設の新島襄の妻ですが、実は、さきほどたずねた舎密院に力をいれていた、山本覚馬の妹でもあります。夫婦で、幕末から明治へ体制も社会も大きく変化するなか、激流にもまれながら学問の大切さや西欧の思想、女性の生き方の大切さを学びつつ語りつつ教えつつ、次の時代を担う若い人たちを育てていきました。

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創設者・新島襄は、人びとが奴隷扱いされ、息苦しい封建社会に束縛されることに我慢ができず、21歳で幕末の日本から隠れて渡米。自由と人権を求めての冒険でした。新島は、しだいにひとつの夢を膨らませます。「自由」と「良心」に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも伝えて行きたい、という夢です。

10年の遊学を経て帰国した新島は、京都に同志社英学校の創立に着手しました。同志社の名は「志を同じくする者がつくる結社」。その原点は新島の志です。「ひとつの志」「同じ志」、すなわち「同志」を意味します。「良心」と「自由」に満たされた学園と社会を実現する新島襄の夢。日本が自由で民主的な近代国家になるためには、一人ひとりの個性と人格が十分に尊重されることが大事だと考えました。新島襄は生徒一人ひとりの人格を尊重しました。生徒はかけがえのない「同志」だったからです。

大学昇格をめざした募金運動の途中、志半ばで倒れた新島襄。「遺言」の中で「学生を丁重に対応すること」を教職員に託します。この遺訓、いまも同志社大学では大事に守られています。

ハリス理科学研究所同志社ギャラリー

京都市上京区今出川通烏丸東入
075-251-2716075-251-2716
10:00~17:00
京都市営地下鉄烏丸線・今出川駅下車
http://harris.doshisha.ac.jp/

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