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■新元号「令和」発表。令和に込められた思いとは?
2019年4月1日に発表された新年号「令和」。この令和という年号に込められた意味について、年号発表の直後に安倍首相から談話があり、「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」というエピソードが発表されました。悲しいニュースや不景気、天災など、日本の未来に先行きを暗く感じている人も多い中で、希望があふれる素敵な年号だとなかなか評判はいいようです。
■新元号「令和」は大化から数えて248番目の元号
新しい元号である「令和」は、大化の改新から数えて248番目にあたる年号であり、今までに使われてきた「昭和」や「平成」、「大正」など247の元号はすべて中国の古典に由来するものでした。そんな中、今回発表された「令和」は日本の古来の古典である「万葉集」の一節にちなんだものとなっており、日本ならではの元号として嬉しく感じている人も多いようです。
■新元号はどうやって決まった?どんな候補があった?
今回、新元号として採用された「令和」ですが、実はこの令和以外にも元号の候補はいくつかあり、最終的に決定されたのが「令和」でした。他に候補に入っていた元号は「久化(きゅうか)」、「英弘(えいこう)」、「広至(こうし)」、「万和(ばんな)」、「万保(ばんぽう)」といった5案が挙げられていました。これらの候補を踏まえたうえで数名の有識者の間で会議が行われ、「令和」という元号に決定されたのです。
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■新元号「令和」 出典は日本最古の和歌集「万葉集」
今回新たに発表された新元号の「令和」ですが、日本を代表する古典のひとつである「万葉集」に由来することから、ニュースやネットでも話題になりました。万葉集の「梅の花の歌、三十二首の序文」にある「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」から引用したものとなっています。歌に登場する「令月」から「令」を、「風和ぎ」から「和」を採用し、組み合わせたのが「令和」となりました。元号の発表によって万葉集の解説書が爆売れしていることもあり、いかに世間が年号に注目していたのかがわかりますね。
■そもそも万葉集ってどんなもの?
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新元号の「令和」の由来となった万葉集ですが、日本に現存する最古の和歌集として4500首以上の歌が収められています。7世紀後半から8世紀後半にかけて編集されたとされており、天皇や貴族といった身分の高い人から、防人や大道芸人といった身分の低い人まで幅広い身分の人々が詠んだ歌が収録されており、なかには作者不明の歌も多数あります。
■万葉集の原本はまだ発見されていない!?
そんな万葉集ですが、有名になった今も原本は発見されておらず、現在博物館などに残されている物はすべて原本を書き写した写本となっています。すでに焼失などでなくなってしまったのか、それともまだどこかに隠されているのかも定かになっておらず、もし原本が見つかったとなれば一大ニュースになることが予想されます。万葉集の写本は日本各地にちらばっており、それぞれ異なる時代に書き写されたものも博物館などで見ることができますよ。
■令和の聖地「太宰府」に行ってみよう!
そんな新元号の「令和」ですが、由来とされる万葉集の歌に詠まれた「梅花の宴」は奈良・平安時代に九州の政治の中心とされていた九州・福岡市にある太宰府で行われたといわれています。諸説あるものも、「梅花の歌三十二首の序文」は、当時、太宰府の長官を務めていた大伴旅人が詠んだとされており、今回の新元号「令和」の誕生によって、太宰府が注目を浴びています。
大宰府の宿泊・観光情報をチェック!
■大伴家持 万葉集ゆかりの地、富山に行ってみよう!
また、太宰府のほかにも大伴家持や万葉集にちなんだスポットは日本国内に点在しています。そのうちのひとつである富山では、大伴家持をはじめとする歌人や富山出身の作家などについての展示が見られる「高志の国文学館」、大伴家持が詠んだ句の石碑が残されている「放生津八幡宮」、ふるさとの万葉をテーマとした資料館「高岡市万葉歴史館」など、さまざまな観光名所があり、ゆかりの地を周遊してみるのも楽しいかもしれませんね。