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【沖縄】八重瀬公園の桜まつりと歴史を巡る旅!周辺観光スポットもご紹介

沖縄の観光スポットといえば、真っ白な砂浜とコバルトブルーの美しい海や豊かな自然があふれる場所、沖縄ならではの文化や歴史を体感できる場所、おいしい沖縄料理を楽しめる場所などがたくさんあります。そのたくさんある観光スポットのなかでも、豊かな自然と歴史を体感できる観光スポットが、八重瀬公園です。八重瀬公園では、桜まつりで豊かな自然を、八重瀬グスクで琉球王国の歴史を、白梅学徒を知ることで沖縄戦の悲しい戦争の歴史を知ることができます。今回は、八重瀬公園についてや桜まつり、園内に残る歴史の足あと、周辺スポットまでたっぷりと紹介します。

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更新日: 2023年11月26日

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八重瀬公園のある八重瀬町とは?

八重瀬公園のある八重瀬町は沖縄本島南部にある町で、2006年に具志頭村と島尻郡東風平町が合併して生まれました。八重瀬町は起伏に富んだ地形で、南部には町名の由来となっている八重瀬岳と丘陵台地があり、その台地の海岸線は海食崖を形成しており、雄大で風光明媚な景観が広がっています。この八重瀬町にある八重瀬公園は、桜の名所としても有名です。

春を伝える「やえせ桜まつり」

日本で1番早く桜が咲き誇るのが沖縄で、南部の桜の名所と言われているのが、八重瀬公園。八重瀬公園内には、緋寒桜(ヒカンザクラ)が約500本植えられており、桜の時期には薄紅色の花が咲き誇り、公園内を色あざやかに染め上げます。南部の桜の名所の八重瀬公園では、毎年1月下旬から2月上旬にやえせ桜まつりが開催され、入場無料で楽しめることが魅力です。

やえせ桜まつりのイルミネーション・ライトアップは見逃せない

八重瀬公園では、やえせ桜まつり当日だけではなく、1月下旬から2月上旬に夜間ライトアップ・イルミネーションが行われ、園内は幻想的な光景が広がります。なかでも頂上の展望台からの風景は絶景。さらにやえせ桜まつりでは、2019年には八重瀬公園ガイドツアー(無料)や泡盛の古酒ふるまい酒(無料)など、さまざまなイベントが行われました。

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八重瀬公園へのアクセス

日本で1番早く桜が咲き誇る沖縄で、南部の桜の名所と言われている八重瀬公園は、沖縄県八重瀬町富盛にあります。那覇空港からは、車で一般道のみであれば約60分、沖縄自動車道を使うと那覇ICから約25分。バスの場合は、ゆいレールで旭橋駅へ向かい、那覇バスターミナルから乗車し、第二富盛バス停下車、徒歩約10分で到着です。

八重瀬公園の駐車場は?

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八重瀬公園には駐車場と公衆トイレがありますが、例年やえせ桜まつりの際は大変混雑します。そのため、2019年は八重瀬町役場と東風平運動公園の駐車場に臨時駐車場が設置。そして臨時駐車場からは、やえせ桜まつり会場まで無料シャトルバスが運行されました。来年度も同じようにシャトルバスの運行がされると思われますので、臨時駐車場の利用がおすすめです。

八重瀬公園は歴史的遺産が残る公園

八重瀬公園があるのは、八重瀬町の名前の由来ともなった八重瀬岳です。八重瀬岳は、南部の桜の名所であることはもちろん、沖縄の文化や歴史を刻んできた場所でもあります。時代がすすむと整備され、按司の居城であったとされる八重瀬グスク跡や、白梅学徒隊が派遣された白梅学徒病院壕跡などの歴史的遺産が残る公園となりました。

八重瀬城(グスク)とカニカマルー伝説

八重瀬公園には、八重瀬城跡とカニカマルー伝説が残っています。八重瀬城跡には、3ヵ所の拝所・井泉、美しい風景を望む物見台、カニカマルーのこぶしや足跡が残るとされる本殿跡などがあります。カニカマルーは身分違いの男女の間に生まれた、怪力と鋼鉄のような体を持った人物で、死してなお敵の侵攻から八重瀬グスクを守った英雄です。

沖縄戦の悲劇を伝える「白梅学徒看護隊の壕」

八重瀬公園には、沖縄戦の悲劇を伝える白梅学徒看護隊の壕が残っています。沖縄県立第二高等女学校の4年生で構成された白梅学徒看護隊が、従軍補助看護婦として第24師団第一野戦病院に派遣され、八重瀬岳にあった本部壕と手術壕で傷病兵の看護にあたっていました。敗色濃厚の戦況のなか解散を命じられ、多くの女学生が激しい戦争で命を失っています。

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