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【沖縄】平和のメッセージを発信する「海軍壕公園」は隠れ絶景スポット!

沖縄県の那覇市と豊見城(とみぐすく)市の市境にある「海軍壕公園」は、那覇市街や東シナ海を一望できる高台にある公園です。ここは琉球王国時代に外国船の来航を知らせる狼煙(のろし)台が置かれていた場所で、太平洋戦争時には海軍の司令部壕が作られ、沖縄戦末期に多数の海軍兵が玉砕を遂げた悲しい歴史を持つ場所でもあります。現在は、戦没者慰霊塔のほか、展望台や子供向けの遊具広場も備えた戦跡公園として整備され、地域住民の憩いの場所として親しまれています。展望台からの眺めが素晴らしく、カップルやファミリーに人気のスポットなんですよ。 今回はそんな「海軍壕公園」について様々な情報をご紹介します。世界に向けて平和を発信する海軍壕公園に訪れてみませんか?

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更新日: 2023年11月21日

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海軍壕公園とは?

海軍壕公園は那覇市と豊見城市の市境、豊見城岳陵に位置する公園です。那覇空港から南東へ5kmほど進んだところにあります。海軍壕公園という名前からも分かるように、ここには太平洋戦争中、日本海軍司令部の防空壕が作られ、沖縄戦では激戦地となりました。現在は遊具も備えた戦跡公園として整備され、地域住民の憩いの場として親しまれています。

日本海軍の司令壕が置かれていた

太平洋戦争の末期、迫る米軍に備えて沖縄の軍備が強化されることになり、1944年に豊見城岳陵に日本海軍設営隊によって防空壕が掘られ、日本海軍の司令部壕となりました。いくつかに枝分かれした全長約450mの司令壕部内には、司令官室のほか、幕僚室や作戦室、下士官兵員室、暗号室、医療室などが置かれ、4,000人もの兵士が収容されていました。

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海軍戦没者慰霊之碑が置かれ戦没者の供養も

沖縄に上陸したアメリカ軍に包囲され孤立した海軍司令部壕は、1945年6月11日からの米軍による総攻撃で部隊がほぼ全滅し、司令官であった大田實少将も自決を遂げました。戦後の1958年に、犠牲となった戦没者を慰霊するため、海軍司令部壕の跡地の見晴らしの良い丘に海軍戦没者慰霊之塔が建てられました。亡くなった人々に思いを寄せ、静かに追悼を捧げたい場所です。

旧海軍司令壕はぜひとも訪れたい必見スポット

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戦後、長期間放置されたままだった旧海軍司令部壕は、1952年から政府による遺骨収集が行われ、1970年に内部を修復・復元。現在は戦跡として一般公開されています。壕内の薄暗い通路や各部屋は、当時の様子がよくわかるように保存されており、戦時中の緊迫感が伝わってくるようです。幕僚室では幕僚たちが自決するのに使用した手りゅう弾の破片の跡も見られます。

頂上からは首里城や南部市街地も一望できる素敵な眺め

海軍壕公園は周囲を一望できる豊見城岳陵に位置しています。公園内の一番高い場所には展望台が設置されており、展望台からは豊見城や那覇の街並みはもちろん、首里城公園や遠く東シナ海まで、周囲360度のパノラマを楽しめるのが魅力です。また、夕暮れ時には美しい夕日、那覇市街のきらめく夜景を眺められるスポットとしても人気があります。

昔は中国や薩摩からくる船の見張りの場所でも

海軍壕公園がある豊見城岳陵は眺望が良いと既にご紹介しましたが、はるか昔から見張り場所として利用されていたようです。琉球王国時代、ここは「火番森(ヒバンムイ)」と呼ばれる狼煙(のろし)台でした。中国や薩摩など、他国からの船が来ると、久米島や慶良間諸島で狼煙を上げ、慶良間の狼煙を確認すると、ここでも狼煙を上げて船の来航をいち早く首里城へ通知していたそうです。

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