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首里金城町石畳道とは?
沖縄県那覇市、14世紀から19世紀に栄えた琉球王朝時代の城下町の金城町、首里城公園の南側斜面に首里金城町石畳道はあります。琉球王朝時代の官道の真珠道(まだまみち)の残っているものが首里金城町石畳道で、長さが約238m。琉球王朝時代の特徴的な石畳と、両脇に並ぶ石垣や沖縄らしい古民家が建ち並ぶ、風情のある風景が見られます。
尚真王の時代に作られた石畳道
14世紀から19世紀に栄えた琉球王朝時代の城下町の金城町にあり、旧首里城守礼門南脇の石門から続いていた、南部への重要な道路が官道の真珠道の一部が首里金城町石畳道です。この真珠道は、1447年から50年にわたって在位し、琉球王国の中央集権体制を確立させた、第2尚氏王統の第3代国王「尚真王」の治世の、1522年ごろに建造が始まりました。
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首里城から続く、総延長10kmの官道であった真珠道の一部
琉球王国時代の趣を残す風景が見られるのが、首里金城町石畳道。その首里金城町石畳道は、琉球王朝時代の南部へと続く官道の真珠道の一部です。この真珠道は、旧首里城守礼門南脇の石門から識名(しきな)、国場川の真玉橋(まだんばし)までの約4km、さらに南部へと続いていた道を合わせ総延長約10kmを誇る重要な幹線道路でした。
沖縄戦により、現在は全長238m区間しか残ってない
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14世紀から19世紀に栄えた琉球王朝時代の1522年ごろに建造が始まり、旧首里城守礼門南脇の石門から南部へと続く重要な総延長10kmの官道であった真珠道。この真珠道の大半は、第二次世界大戦の沖縄戦により破壊されてしまいました。しかしながら、運よく破壊から逃れ残っていた真珠道の一部の238mが、首里金城町石畳道として保存されています。
歩くとわかる、意外に急勾配の道
旧首里城守礼門から南部へと続く重要な官道の一部といわれると、平たんな道を想像する方が多いはずです。しかしながら歩いてみると、意外に急勾配の道が続いていることが分かります。急勾配なところには階段となっていたり、溝が滑らないように彫られているなどの工夫がされていますが、訪れる際は歩きやすい靴と汗ふきタオルを準備しましょう。
琉球石灰岩の、平石を敷きつめられた道
首里金城町石畳道の238mは、琉球石灰岩の平石が敷きつめられて作られています。この琉球石灰岩は、サンゴ礁のはたらきで作られ、沖縄県では約30%を占めている石。沖縄県では昔から建材として使われ、石畳や石垣、首里城や陵墓なども琉球石灰岩で作られています。首里金城町石畳道の琉球石灰岩は、人々の往来によりなめらかな光沢を放っています。