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轟の壕とはどのような場所?
轟の壕(とどろきこう)とは、沖縄本島南の糸満市にある戦争の遺跡のことを言います。太平洋戦争末期に沖縄の住民の600人以上が避難していた自然洞窟です。洞窟の開口部は直径30m、全長約100mもあり迫力があります。轟の壕は、個人での見学や説明を聞きたい人のためのガイド同行見学ができます。歴史を見て感じることができるため、修学旅行生の学習の場としても利用されています。那覇空港から車で約30分で到着することができます。
轟の壕の歴史
轟の壕は、アメリカ軍による火炎攻撃や日本軍による暴行・射殺などの悲しい歴史があります。太平洋戦争末期の轟の壕には、600~1000人以上の住民や日本兵がいたと言われています。当時は、食べ物もなく苦しい思いをしていた人々や餓死した人がたくさんいました。轟の壕内に入ると、暗く当時の重苦しい空気の一面を想像することができます。祭壇や石碑などを見ることができます。
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轟の壕の交通アクセスは?
那覇空港近郊からレンタルカーを利用する方は、約30分で行くことができます。沖縄本島の南部に位置しています。那覇から国道331号線をひめゆりの塔方向に進むとあります。駐車場は完備されていないので他の車や人の邪魔にならない程度に路駐をましょう。バスで行く際の最寄りのバス停は、M-7 伊敷です。交通機関よりも自動車を利用したほうが時間を気にせずに立ち寄れるのでおすすめです。
近くには「糸洲の壕」もある
糸洲の壕(ウッカーガマ)は、第二野戦病院として使われた自然壕です。積徳高等女学校生徒の25人が従軍看護婦として働いていました。その後そのうち2人が犠牲となり、その他の23人は捕虜となりました。糸洲の壕内は、湿度が高く足場が悪いため履きなれている靴や汚れても良い靴を準備しておくと良いでしょう。さらに歴史が気になる方にはドキュメンタリー映画のふじ学徒隊を見てみると良いでしょう。
近隣の史跡1:糸洲第二外科壕跡
糸洲第二外科壕跡へは国道331号線へ行き糸洲交差点に目印があります。糸洲集落北側に位置しています。糸洲第二外科壕跡入り口前にがスペースがあるので車でお越しの方はそこに停めると良いでしょう。糸洲第二外科壕跡入り口は二か所あるためアクセスのしやすい方を事前確認しておきましょう。看板があり突き進むと石碑があります。轟の壕からほど近いので合わせてみて回ることをおすすめします。
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