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国指定史跡の「浦添ようどれ」とは?
浦添ようどれは、沖縄県の浦添城跡の北側崖下にある琉球王国の王陵で、西室(英祖王陵)と東室(尚寧王陵)の二つの墓室があり、国指定史跡で、2005年に修復、復元されました。「ようどれ」は、琉球語で夕凪(ゆうなぎ)を指し、極楽を意味するとも言われています。当時の様子に墓室内部が復元されていて疑似体験できる部屋がある「浦添グスク・ようどれ館」が併設されています。
浦添ようどれの歴史
浦添ようどれは、琉球王国初期の王陵で、1265~1274年の咸淳年間に英祖王が建てたと言われています。その後、浦添出身の尚寧王が1620年に改修し、尚寧王も葬られました。向かって右側が英祖王で左側が尚寧王の墓室と言われています。岩壁に横穴を掘って、墓室を作り、中に中国産の石で作成された洗骨した骨を納める蔵骨器の石厨子が置かれています。
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浦添ようどれの歴史的な建造物1石獅子・石厨子
浦添ようどれの東室(尚寧王陸)の袖石積みに石獅子が墓を守るように置かれています。元々は、左右一対で置かれていましたが、右側の石獅子は沖縄戦で破壊された歴史があります。東室に1基、西室(英祖王陵)3基ある石厨子には、仏像や獅子、花などが彫られていています。中国福建省産の「輝緑岩」と言われる硬い石で作られています。沖縄に現存する仏像彫刻の中で最古のものです。
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浦添ようどれの歴史的な建造物2極楽山之碑
浦添ようどれにある「ようとれのひのもん(極楽山之碑)」は、1620年に尚寧王がようどれを改修した記念に建立された石碑です。英祖王の墓であるようどれを立派にきれいに改修し、尚寧の祖父や父を葬った事や浦添家から尚寧が国王に迎えられた事、ゆくゆくは尚寧王もここに入る事など歴史的な内容が記されています。沖縄戦で被害を受けましたが、琉球政府が戦後に復元しました。
浦添ようどれへのアクセス方法
浦添ようどれへは、那覇空港から車で高速道路を利用して那覇ICから西原ICを経由して約25分、一般道のみ国道330号線を利用して約30分です。バス利用の場合は、那覇バスターミナルから系統番号55番に乗車して約30分、「仲間」バス停で下車して徒歩約5分です。無料の駐車場を完備しています。開園時間は、9時から18時で年中無休です。
近隣の観光スポット:浦添大公園
浦添ようどれの近隣にある浦添大公園は、東西に細長く広大な土地に3つのテーマ別のゾーンに分かれています。滑り台や大型アスレチックなどの遊具が並ぶ「ふれあい広場ゾーン」や高台にある展望台からは、浦添市や東シナ海を一望できます。ショップや自動販売機、トイレ、東屋を完備しています。毎月オリジナルイベントも開催されていて、老若男女問わず家族で楽しめる公園です。