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【伝統芸能】浄瑠璃節入門!独特の世界をのぞいてみよう

更新日: 2023年11月22日

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浄瑠璃節(じょうるりぶし)は日本を代表する伝統芸能のひとつです。江戸時代初期に完成された浄瑠璃節にはいくつかの流派が誕生しましたが、現在には8つの流派が伝わっています。
太夫の語り、三味線の音色、人形の繊細な動き。これらが総合的に表現されることで、浄瑠璃節の美しい一つの芸術ができあがります。浄瑠璃節の中には人形を用いない素浄瑠璃(すじょうるり)もあり、その奥深さは一言では言い表せません。また、浄瑠璃節を観ることで当時の人々の生活を伺い知ることもできます。
ユネスコ無形文化遺産にも認定されている日本の誇るべき芸能である浄瑠璃節。浄瑠璃節の世界に初めて足を踏み入れる方にもわかりやすいようにまとめてみました。

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浄瑠璃節とは?意外に知らない基本情報を見てみよう!

浄瑠璃節は浄瑠璃とも呼ばれる「語りもの(かたりもの)」の一種です。語りものとは日本音楽における声楽のひとつのジャンルであり、詞章に物語性がある楽曲のことです。室町時代に成立し、江戸時代が最盛期とされています。
浄瑠璃節では三味線を伴奏にして太夫(たゆう)が物語を語ります。これに人形を合わせたものを「人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)」と呼びます。人形浄瑠璃は正式には「人形浄瑠璃文楽(にんぎょうじょうるりぶんらく)」といい、一般的には「文楽(ぶんらく)」と呼ばれることが多いです。人形浄瑠璃に対して、人形抜きで上演する場合には「素浄瑠璃」といわれます。人形浄瑠璃は「世界一の人形劇」とも称され、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されています。

浄瑠璃節を始めた人って?琵琶法師たちの活動について

琵琶法師(びわほうし)とは平安時代から見られた盲目の僧で、琵琶を弾くことを職業としていました。
日本の琵琶楽には器楽としての琵琶楽と、声楽としての琵琶楽の2種類があります。琵琶法師は後者に属し、宗教音楽として琵琶を演奏していました。
鎌倉時代に入ると平曲(へいきょく)が完成します。平曲とは『平家物語』を琵琶の伴奏に合わせて語る語りもののひとつです。この時代には経文(きょうもん)を唱える盲僧琵琶と『平家物語』を語る平家琵琶とに分かれていました。平曲は特に上流階級の人々にもてはやされていたため、次第に演奏家の格式や資格が生まれるようになり、あぶれてしまった琵琶法師たちは庶民を対象に物語を語りだします。
『浄瑠璃十二段草子』という「浄瑠璃姫」の物語がその始まりと言われており、その語りの節(ふし)回しが人気を博し、その後、浄瑠璃姫以外の物語を語るようになっても、その節回しを「浄瑠璃節」と呼ぶようになりました。

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いつからあったの?浄瑠璃節の歴史をたどってみた!

浄瑠璃節の起源には諸説があります。御伽草子(おとぎぞうし)の一種『浄瑠璃十二段草子』がその始まりとされています。作者と言われている小野阿通(おののおつう)が、大病を患った信長のために三味線を用いて語ったのが始まりと、江戸時代までは言われていました。
しかし様々な議論の結果、琵琶法師が『浄瑠璃十二段草子』を琵琶で演奏したことが起源という説が有力となっています。その後三味線を用いて語られるようになり、それを小野阿通が信長に語ったという説が現在では一般的になっています。
江戸時代には浄瑠璃は本格的な芸術として認知されるようになります。1686年に近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)が竹本義太夫(たけもとぎだゆう)のために書いた『出世景清(しゅっせかげきよ)』は浄瑠璃節の革命的存在となり、これ以前の作品を「古(こ)浄瑠璃」、これ以降の作品を「新浄瑠璃」または「当流(とうりゅう)」と呼び区別されるようになりました。
新浄瑠璃の先駆者である竹本義太夫による「義太夫節(ぎだゆうぶし)」は現在では浄瑠璃の代名詞とも言われる存在となっています。現在までに新浄瑠璃には「義太夫節」を始めとして8つの流派が残っています。

いま有名な「二代目 吉田玉男」さんてどんな人?

二代目 吉田玉男(よしだたまお)さんは日本を代表する人形浄瑠璃の人形遣いです。2015年5月に東京国立劇場において二代目 吉田玉男を襲名披露しました。
吉田さんはもともと文楽とは縁がない家庭で生まれ育ちました。運命の転換期は中学2年生の時に訪れます。道頓堀にて『絵本太功記』が上演された時のことでした。人形遣いの人手が足りなく、アルバイトとして声を掛けられたそうです。学生服姿に頭巾をかぶって人形遣いとしてデビューした吉田さんはその後もアルバイトで手伝ううちに文楽の世界へと惹き込まれていきました。高校進学をせずに、人間国宝にも認定されている初代吉田玉男さんに入門。
二代目 吉田玉男さんは数々の受賞歴を持ち、最近では2019年10月22日即位礼正殿の儀の翌日に開かれた内閣総理大臣夫妻主催晩餐会において、狂言師の野村萬斎(のむらまんさい)さん、歌舞伎俳優の市川海老蔵(いちかわえびぞう)さんと並び『三番叟(さんばんそう)』を文楽にて披露しました。

これであなたも浄瑠璃節マスター!注目の『出世景清』をご紹介

『出世景清(しゅっせかげきよ)』は近松門左衛門の代表作のひとつであり、日本の浄瑠璃節の世界の転換ともなった作品です。近松門左衛門は江戸時代に活躍した人物です。
近松以前の浄瑠璃節は「古浄瑠璃」と呼ばれ、物語性にそれほど富んでおらず、宗教色が強いものでした。近松が竹本義太夫のために書いたのが『出世景清』であり、演劇性の強いこの作品がこれまでの浄瑠璃節の概念をガラッと変えることとなります。『出世景清』以降の作品を「新浄瑠璃」と呼びます。
『出世景清』は1685年大坂竹本座で初演され、のちに歌舞伎化されるほどの人気となりました。時代は平家が滅亡した後の鎌倉時代初期、平家側の悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)という武将が主人公です。仇であった源頼朝(みなもとのよりとも)を打ち滅ぼすために苦悩するという物語です。登場人物の人間的な葛藤や悲劇が鮮やかに描かれています。
それまでの素朴な古浄瑠璃の世界に演劇的要素を強く持ち込んだ『出世景清』は浄瑠璃節に新しい世界を築いた画期的な作品といえます。

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