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ドミニカ共和国の気候は?季節に合わせて服装を選ぼう!
ドミニカ共和国は亜熱帯に属しますが、地形の変化に富むことから、地域により違いがあります。首都サントドミンゴの年間平均気温は約26度と、カリブ海からの季節風の影響で、他の地域に比べて過ごしやすいです。ハラバコアなどの中央山間部は年間平均気温が18度程度と低く、高原都市のコンスタンサなどでは、冬季は気温が氷点下となることもあり、セーターや厚手のジャケットが必要。季節の変化はあまりはっきりしていませんが、4月から10月は日中かなり暑く、11月から3月は少し涼しくなりますが、1日の内の気温差が大きく、日中30度以上でも夜は20度以下まで下がることも。5月から11月は雨期で、7月から10月は熱帯低気圧やハリケーンが発生することもあります。一年を通じて夏服でOKですが、冷房や朝晩の冷え対策に薄手のジャケットを持参するのがおすすめです。
ドミニカ共和国の言葉事情は?英語は通じる?
ドミニカ共和国は、スペインに統治されていた時代もあり、公用語はスペイン語です。とはいえ、国民の間で話されているのはスペインで話されているスペイン語ではなく、カリブ・スペイン語方言のスペイン語ドミニカ共和国方言です。ドミニカ共和国には、アフリカ大陸から多くの移民が移住しているので、アフリカの言語の影響も受けていて、ハイチ・クレオール語やドイツ語、フランス語、イタリア語、英語なども話されています。ホテルや観光スポットなどでは英語が通じることも少なくありませんが、挨拶など簡単なスペイン語の会話を覚えておくと便利です。
気をつけるべきことは?ドミニカ共和国の治安
ドミニカ共和国の治安は、残念ながら、決して良いとは言えません。外務省の海外安全ホームページの危険情報によると、4段階の内、「レベル1:十分注意してください」と評価されています。イスラム過激派などによるテロ行為などは発生していませんが、一般の犯罪者レベルの犯罪が多いということです。近年、首都サント・ドミンゴや第2の都市サンティアゴなど、都市部での治安の悪化が見られ、拳銃強盗や麻薬密売に絡む犯罪が発生しています。観光客を狙った犯罪としては、詐欺や強盗、ひったくり等も発生しています。治安が良いとされる場所でも、一人歩きや夜間の外出を控えるなど注意が必要です。
サント ドミンゴ でおすすめの観光スポットを紹介!
■ソナコロニアル
ソナコロニアルはドミニカの首都サントドミンゴの旧市街で、地元では親しみをこめてソナと呼ばれています。中米では珍しいヨーロッパ風な街並みが広がっており、ドミニカで世界遺産に登録されている唯一のスポット。
ソナコロニアルの歴史は古く、13世紀にコロンブスが建設したのがその始まり。当時建てられた教会や役所などの歴史的建造物が現在も健在で、大きな見どころとなっています。
中心部にあるドゥアルテ公園から伸びる大通り沿いには、レストランや土産物店も立ち並んでおり、観光シーズンには、多くの人で賑わいを見せています。
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■サンタ・マリア・ラ・メノール大聖堂
ドミニカきっての観光スポットとなっている旧市街には、この街を造ったスペイン人にまつわる建物が現在も残っています。サンタ・マリア・ラ・メノール大聖堂はそのひとつで、当時としては、新大陸で初めての大聖堂となりました。
建設が始まったのは1510年ですが、中断期間があり、完成したのは30年後の1540年。スペインのセビリア大聖堂がモデルになったといわれており、プラテレスコ様式の外観が大きな特徴。
この様式は、ルネサンス様式とゴシック様式が融合したもので、風格と威厳を感じさせます。かつてはここにコロンブスの棺が安置されていましたが、現在はコロンブス記念灯台に移されています。
■アルカサル
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ドミニカはコロンブスによって発見され、それ以降はスペイン人の植民地となっていた時代がありました。その頃にドミニカの総督としてやってきたのが、コロンブスの息子であるディエゴ・コロンブス。
彼が現地で邸宅として建てたのがアルカサルで、1510年から建設が始まり、4年後の1514年に完成しました。サントドミンゴのオサマ川のほとりに建っており、ルネサス様式のエッセンスを取り入れたゴシック様式の外観をもっています。
現在は一般に公開されているので、內部を見学することが可能。当時の部屋の装飾や調度品からは、植民地時代の暮らしぶりをうかがい知ることができます。
アルカサル
ドミニカ共和国 / サント・ドミンゴ
- Plaza de Espana | Off Calle Emiliano Tejera at foot of Calle Las Damas, Santo Domingo, Dominican Republic
■オサマ要塞
オサマ要塞は、スペイン人による入植が始まり、サントドミンゴが建設された時期に造られました。要塞ができたのは16世紀初めで、建設を推進したのは当時の総督であるニコラス・デ・オバント。
目的は海賊の襲撃からサントドミンゴを守るためで、防衛の拠点としての役割を果たしていました。またオサマ川を見下ろす高台には、敬礼の塔と呼ばれる見張り台も。これは、港に出入りするヨーロッパの船舶を見張るためで、防衛と同時に監視の任務も担っていました。
要塞の周辺には大砲などが現在も残されており、当時の空気を今に伝えています。
■パンテオン
パンテオンは、ドミニカのために尽くした英雄たちが眠る霊廟です。そのなかには、歴代の総督や大統領も含まれています。イエズス会の教会として1714年に建てられのがその起源で、ルネサス様式の見事な外観をもっていました。
その後、工場や劇場として利用された時期を経て、1956年に霊廟として改築されたのが現在のパンテオンです。館内には、英雄の炎と呼ばれる火が燃え続けており、永眠した人々を見守っています。
またパンテオン入り口には、身動きせず、直立不動の姿勢で霊廟の守護にあたる兵士が姿が。改めて、ここが特別な場所だと感じさせてくれる光景といえます。