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【伝統芸能】写し絵入門!初心者向け基礎知識をご紹介

更新日: 2023年11月22日

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写し絵とは風景や人物などを描いたガラス板を幻灯器と呼ばれる機械で壁や白布、和紙などに映し、様々な物語を楽しむ伝統芸能です。ゆらゆらと様々な模様が動くため江戸時代の人は西洋の魔術ではないかと驚いた逸話も残るほど、当時としては革新的な技術が使われ、演芸の一つとして定着しました。
明治時代になり西洋の映画技術が導入され、現在ではなかなか見かける機会が少なくなりましたが、写し絵は日本アニメの原点とも言われるほど現在の日本文化に与えた影響も大きい伝統芸能です。
今回はそんな写し絵の基本情報から歴史まで初心者の方にもわかりやすくご紹介していきます。写し絵について知ればこんな伝統芸能があったのかと日本文化の奥深さに気づくはずです。

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写し絵とは?意外に知らない基本情報を見てみよう!

写し絵は映像に音曲と語りを組み合わせた映画の原点とも言える日本の伝統芸能です。オランダから伝わった幻燈機(げんとうき)を日本風に改造した「風呂」と呼ばれる機械を用います。
写し絵の上映中は何名かの写し絵師が何個かの「風呂」を持ち、物語の展開に合わせてスクリーンの背後を移動します。これにより光の色合いや強弱が付き、絵柄に動きが出て、物語が進行する仕組みになっています。上映される演目は落語や浄瑠璃などの物語が中心。世界には例がない日本独特の伝統芸能と言われており、西洋の映画技術が生まれる100年も前に日本で独自の映像技術があったことになります。

写し絵を広めた人って?気になる「亀屋熊吉(かめや くまきち)」について

亀屋熊吉は日本で初めての写し絵の寄席を上演した人物として知られています。元々染め物の絵職人だった熊吉はオランダ人が幻燈機を使って上映した見せ物に触発され、幻燈機の原理を利用した独自の機械を作成しました。
熊吉はその機械を用いて1803年に江戸で「写絵」と称して上映。熊吉は落語が趣味だったため落語の噺を物語風に映像化したのが初公演とされています。幻燈機を手で持ちながら絵を投影する技術を用いた写し絵は幻想的で江戸の人々に新鮮な気持ちを持って受け止められました。たちまち写し絵は江戸で大流行になります。写し絵は熊吉の日本式の幻燈機の発明から始まったのです。

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いつからあったの?写し絵の歴史をたどってみた!

写し絵は約200年前にオランダからマジックランタン(幻燈機)が導入されたことが始まりと言われ、当時の人々に親しまれていた落語や浄瑠璃の演目を映像化することで人気を博しました。元々隅田川に浮かぶ屋形船の障子に様々な絵柄を映し始めたのが始まりと言われています。
江戸後期から最盛期となり、玉川文楽と両川亭船遊(りょうかわてい せんゆう)の二人が名人として活躍しました。
西洋の技術が導入され、近代的な映画が上映されるようになると写し絵は見せ物としての需要がなくなり、長期間不遇の時代を迎えます。現在では日本古来の映像技術を後世に伝えていこうと、みんわ座を始めとする劇団が写し絵技術の復活・継承に努めています。

いま有名な「山形文雄(やまがた ふみお)」さんてどんな人?

山形文雄さんは現在日本で唯一の写し絵師と言われるほど日本の写し絵界をリードする存在です。1937年北海道出身、1968年に影絵芝居団みんわ座を創立し、影絵の脚本作成と演出を行ってきました。
次第に日本独自の映像技術である写し絵に関心を持つようになり、平成24年には三代目薩摩駒花大夫(さつまこまはなたゆう) を襲名。写し絵技術の再興に努めます。
山形さん率いるみんわ座も江戸写し絵の復元上映を積極的に行うなど写し絵の伝統継承を行っています。
写し絵は江戸時代の資料が不足しており、その技術の継承には困難が伴います。その困難を乗り越え後世に写し絵を伝える山形さんの活動はこれからも続いていきます。

これであなたも写し絵マスター!注目の幻燈をご紹介

幻燈(げんとう)とは写し絵技術と明治時代に渡来したマジック・ランタンが融合して日本独自の発展をした映像技術のことを言います。
幻燈の技術は1874年ごろに手島精一によって幻燈が日本に導入されたことに端を発します。映し出されるスライドには2種類あり、手書きの下図を基にしたスライドと写真を複製することで作成されたスライドが作成されました。スライド自体は鮮やかなカラーリングのため当時の外国人の日本土産としても人気になりました。
写し絵の技術は明治以降ただ衰退するのではなく新たな技術と融合して別の形で日本文化の一部になっています。

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