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【伝統芸能】島唄入門!初心者向け基礎知識をご紹介

更新日: 2023年11月23日

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「島唄(しまうた)」と聞くと三線の音色、ゆったりと歌い上げる独特のリズム、沖縄の海などを想像する人が多いかと思います。実は島唄は沖縄音楽の総称ではなく、鹿児島県に属する奄美群島に伝わる民謡のことを指します。島唄は奄美群島ではどのような時に歌われるのでしょうか?島唄で使われている三線(さんしん)は三味線とは違うのでしょうか?また、島唄はどのように楽しむのでしょうか?今までなんとなくでしか知らなかった島唄について、初心者の方にもわかるようにまとめてみました。

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島唄とは?意外に知らない基本情報を見てみよう!

「島唄」という響きを聞いたことがある方は多いかと思います。1992年にTHE BOOMが『島唄』という楽曲を発表し、大ヒットさせて以来、「島唄」とは「沖縄音楽の総称」ととらえている方も多くいるかもしれません。
しかし、実は島唄は奄美群島で発展した民謡のことを指します。奄美群島は鹿児島県と沖縄県の間に位置しており、8つの有人島からなっています。島唄は「三線」という楽器で演奏されます。島唄の特徴の一つとして「逃げ」と呼ばれる裏声を用いることが挙げられます。裏声は沖縄民謡やその他の日本民謡ではタブーとされている発声方法です。島唄にルーツを持つ歌手では元(はじめ)ちとせさんや中孝介(あたりこうすけ)さんなどがよく知られています。

島唄を広めた人って?気になる「南政五郎」さんについて

奄美では日々の暮らしに歌は欠かせないものです。冠婚葬祭には島唄が必ずと言っていいほど歌われます。日常生活でも島民が集まれば必ず歌で締めくくられたり、夫への不満を歌にのせてみたり、女性への想いを歌に綴ってみたり、歌は常に島民の生活に密着していました。
また、サカ歌(さかうた)と呼ばれる呪術的な意味合いを含んだ歌もありました。サカ歌のような歌は口伝えによって伝えられました。サカ歌の呪詛の内容を断ち切るための歌などもあり、島唄にはある程度の知恵や技量も求められました。島唄の知恵に長けた人は唄者(うたしゃ)と呼ばれ、称されました。このような背景から、もともとは唄者は職業としての歌手ではなく、知恵のある島人という位置付けでした。
奄美の人々の生活に密着していた島唄が全国に広まった背景には録音や放送技術の発展が挙げられます。島唄を全国に広めた第一人者ともいえる方が南政五郎さんです。五郎さんは現在は奄美市となる大島郡笠利村(かさりちょう)佐仁(さに)にて1889年に誕生しました。奄美民謡である『笠利唄(かさんうた)』の代表的唄者であり、25歳の時に劇場デビューしました。戦後、奄美諸島各地を回り、アメリカ統治下でまったく娯楽がなかった集落や島民たちに勇気ややすらぎを与えたと言われています。1985年にこの世を去るまで、島唄の普及に尽力し、現在も五郎さんの教えは受け継がれています。

いつからあったの?島唄の歴史をたどってみた!

島唄の「シマ」とは琉球方言で「村落」という意味を持ちます。かつて奄美群島、沖縄諸島、先島諸島には琉球王国が存在していました。琉球王国は1429年から1829年までの450年間、この辺りを統治していました。この時代から人々は「シマ社会」を形成していました。それぞれのシマでは風俗や決まり事は異なり、歌われている歌も異なりました。それぞれの歌は「シマ唄」と表記されていました。最初にこれらの歌を「島唄」と総称したのが奄美群島です。
このような経緯から「島唄」といえば本来は奄美民謡のことを指すのですが、「シマ唄」と言えば広義ではシマ社会の歌となり、奄美群島だけではなく、沖縄諸島や半島諸島にある民謡も指すこととなります。その後沖縄音楽の流行により、「島唄」が奄美民謡だけではなく沖縄音楽の総称として混同され始めました。したがって奄美民謡の島唄をあえて「奄美島唄」と区別する場合も見られます。

いま有名な「元ちとせ」さんてどんな人?

島唄を歌う人には「唄者(うたしゃ)」と「声者(くいしゃ)」という呼称があります。「唄者」は島唄の意味を理解し、その場にふさわしい島唄を歌うことができる人のことです。一方「声者」は唄の意味は理解できておらず、ただ美声で歌うだけの人のことです。
奄美大島出身で、現在全国で活躍している唄者の1人である元ちとせさんをご紹介します。ちとせさんは奄美大島南部にある海辺の集落である嘉徳(かとく、かどく)の出身です。幼い頃より三味線を習っており、後に『東唄(ひぎゃうた)』と呼ばれる島唄を習いました。奄美大島では島唄は奄美大島北部様式の『笠利唄』と奄美大島南部様式の『東唄』に大別されています。1993年、ちとせさんが中学3年生の時に、『塩道長浜節(しゅみちながはまぶし)』で奄美民謡大賞少年の部優秀賞を受賞しました。その翌年1994年には『俊良主節(しゅんじょしゅぶし)』にて奄美民謡大賞青年の部新人賞を受賞します。1996年には『嘉徳なべ加那節(かどこなべかなぶし)』で史上最年少、高校生初の奄美民謡大賞を受賞しました。1998年に歌手を目指して上京し、2002年には『ワダツミの木』でオリコン1位を獲得、その後も日本のポップス界にて活躍しています。
ちとせさんは現在は故郷である奄美大島に活動の拠点を移し、家族と共に生活しています。島唄の未来を担う期待の唄者であると共に日本を代表する女性シンガーの1人でもあります。

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これであなたも島唄マスター!注目の八月踊りをご紹介

奄美群島の風物詩となっている「八月踊り(はちがつおどり)」をご紹介します。毎年旧暦の8月(現在の9月)には八月踊りという行事が開催されます。奄美群島では旧暦の8月を新年とする暦があります。奄美群島以外にも、鹿児島県の一部や沖縄県の一部でも八月踊りは開催されていますが、その内容は地域ごとに異なります。
奄美群島の八月踊りは豊年を祝い、祈願するお祭りです。新米で赤飯を炊き、神前に供えます。「チジン」という太鼓を女性が叩き、そのリズムと三線の音色に合わせて島唄を歌いながら輪になって踊ります。この時歌われる島唄は、あらゆる島唄の源流とも言われています。
八月踊りは旧暦8月に3回行われます。第1回目は最初の丙(ひのえ)の日に行われ、新節(あらせつ)と呼ばれます。第2回目は新節から約1週間後の甲(きのえ)の日に行われる柴挿(しばさし)。その後、第3回目は甲子(きのえね)の日に行われる嫩芽(どんが)です。これら3つをまとめて三八月(みはちがつ)といいます。
八月踊りでは数十種類の島唄が男女の掛け合いで歌われます。男女それぞれに「打ち出し」と呼ばれる島唄をリードする人がいて、周囲はリードの歌に続いていきます。掛け合いで短い歌詞をつなぎ、一つの物語のある曲を作っていきます。集落ごとに伝えられている曲は異なります。この歌の掛け合いは八月踊りの見どころでもあり、島唄の面白いところでもあります。

島唄の鑑賞のポイントをご紹介!奄美に根付く唄遊びの文化を知ろう

島唄は原則として一人では歌いません。奄美には「唄遊び」の文化があり、男女が即興で唄の掛け合いをするのです。それは単なるおしゃべりのようなものであったり、冗談で笑わせるものであったり、時には恋のささやきであったりもします。すでにある歌詞をその時々に応じて歌ったり、時には自由に作ったりもします。
そのような特徴もあるため、「島唄は生きている」とよく言われます。そもそも島唄には楽譜などはありませんでした。歌詞やメロディが固定されておらず、歌う人やその場の雰囲気によって歌詞やメロディに変化が加わり、伝えられているからです。地域によって、歌う人によってその姿が変わっていくのが島唄です。
島唄は「キレイなよそ行きの顔をした歌」ではなく、奄美群島の人々の生活が歌われているものです。歌う時も鑑賞する時も「正確にきちんとした歌」を求めるのではなく、自分の感情に任せて楽しむことが一番なのです。

島唄の風景 (奄美復帰50年企画)

南日本新聞社 (編集)

代表的な島唄『朝花節』をご紹介します!

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『朝花節(あさばなぶし)』は奄美島唄の中でも特に知られている島唄のひとつです。奄美では島唄は「朝ばなに始まり朝ばなに終わる」と言われるほどで、唄遊びの際は喉慣らしとして、『朝花節』は最初に歌われることが多く見られます。
『朝花節』は即興で歌われることも多く、歌詞や節回しもたくさんあります。さらにそのバリエーションも様々で、宴会の終わりや別れの場面で歌われる『送り朝花』や『別れ朝花』、お祝いの席で歌われる『長朝花節』、唄遊びで歌われる短い『朝花節』、テンポの速い『一切(ちゅっきゃり)朝花節』など多様です。
『朝花節』でよく見られる代表的な歌詞と解説をまとめます。

「稀(ま)れ稀れ 汝(な)きゃ拝(うが)で
今(なま)汝きゃ拝むば にゃ何時(いち)頃拝むかい」
意味「久しぶりにあなたとお会いしましたが、次はいつ会えますか」

「いもしゃん人(ちゅ)ど 真実あらな
石原(いしわら)踏(く)みきち
いもしゃん人ど 真実あらな」
意味「石原を踏み越えて、こうしていらしてくださった人こそ真実のある人です」

「拝(うが)まらん人(ちゅ)ど 拝で知りゅり
神ぬ引き合わせに 拝まらん人ど 拝で知りゅり」
意味「神様のお導きにより、会ったことのない人にもこうして会うことができました」

2018年に放送されたNHK大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』でもオリジナルの『朝花節』が歌われていました。

島唄で使われる三線はどんな楽器?

島唄では「三線」という楽器を用います。三線は三味線によく似た楽器です。琉球王国時代に中国大陸から伝えられた三絃(サンスェン)という楽器が基になっています。三絃が琉球王国に伝わり三線が誕生し、その後大阪の堺に伝わり三味線が誕生したと言われています。三線は17世紀の琉球王国で宮廷楽器として盛んに演奏されました。その後庶民の手にも渡り、三線は人々の間に普及していったのです。
現在三線には代表的な七つの型があります。琉球王国時代にそれらを生み出したそれぞれの名工の名がつけられています。簡単に説明しますと、最も古い型である「南風原(フェーバル)型」、三線主取(サンシンヌシドゥイ)という三線製作を管轄する役人が作った「三線主取(サンシンヌシドゥイ)型」、三線の中では最も大きな「久場春殿(クバシュンドゥン)型」、棹が最も細く最も小ぶりな「久葉の骨(クバヌフニー)型」、最も普及している「真壁(マカビ)型」、天(チラ)という棹の頭の部分の弯曲が大きい「平仲知念(ヒラナカチニン)型」、棹に厚みのある「与那城(ユナグシク)型」です。

三線のはなし

宜保榮治郎 (著)

島唄で用いられる三線は奄美のものと沖縄のもので違う!

実は沖縄三線と奄美三線は一見同じように見えますが、細かい違いがあります。それは型の違いというよりも演奏場所や音色の違いによる作りの違いです。沖縄三線には白い弦が用いられていますが、奄美三線では細い黄色い弦が用いられています。「大島弦」と呼ばれるこの弦の音色によって哀愁がある高い音色が生み出されます。このような音色は奄美群島がたどってきた波乱の歴史から生み出されたものともいえます。
さらに胴(チーガ)にも違いがあります。奄美三線では沖縄三線よりも皮がきつく張られています。そうすることによってより高い音が出るのです。本来胴部分には蛇皮が張られますが、奄美三線ではプリントの人工皮であることも多いです。それには理由が二つ考えられます。一つは、奄美三線の演奏方法によるもの。奄美三線では細長いバチを胴に叩きつけるという演奏方法がよく用いられます。本皮よりも人工皮の方がこの奏法に耐えうるのです。二つ目は演奏場所によるもの。現在島唄はステージなど広い場所で演奏されることも多くなり、音を鳴り響かせる必要があります。そのため、人工皮であれば皮を強く張って音を響かせることができ、適しているのです。
バチにも違いがあります。沖縄三線では専用バチやピック、爪などで弾くのですが、奄美三線では細長いバチを用います。素材は竹やプラスチックなど様々です。
見た目にはさほど変わらない奄美三線と沖縄三線ですが、実は作りが少々違うのです。

奄美民謡島唄集

片倉 輝男 (著)

島唄をもっと理解できるおすすめの書籍をご紹介します!

島唄は奄美群島の人々の生活から生まれてきたものです。島唄を知るためには奄美群島の歴史を知っているといいですね。
奄美群島についてあまり詳しくない方にもおすすめのわかりやすい本が『奄美の歴史入門』です。この本は小学校の校長先生が、わかりやすく奄美独特の歴史を記しています。大人にも子供にも大変読みやすい本です。

奄美の歴史入門

麓 純雄 (著)

さらにもう少し詳しく歴史を知りたい方におすすめなのが『奄美、もっと知りたい―ガイドブックが書かない奄美の懐』です。こちらには奄美の歴史だけではなく島唄についても書かれています。歴史を通して奄美の文化についても言及されているので、より深く奄美や島唄を知ることができる一冊です。

奄美、もっと知りたい―ガイドブックが書かない奄美の懐

神谷 裕司

まとめ

奄美群島に昔から伝えられてきた民謡である島唄は奄美の歴史を刻んできた歌でした。現在は島唄といえば沖縄音楽総称と思われがちですが、本来の島唄は奄美島唄のことを指すということもわかりましたね。人々のたわいないおしゃべりであったり、愛のささやきであったり、場を盛り上げる冗談であったり、その時々の人々の心情が島唄の歌詞には込められています。自分の想いを自由に表現できる奄美島唄は歌い手によって変化していくので「生きている島唄」とも言われています。哀愁漂う奄美三線の音色と共に歌うのも素敵ですし、踊りと共に大勢で掛け合いをしながら歌うのも素敵ですね。このまとめを参考にして、島唄の世界に一歩足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。

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