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【伝統芸能】長歌入門!知って楽しい日本の伝統文化

更新日: 2023年11月21日

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若い世代や外国人留学生の間で密かにブームとなっている伝統芸能。2020年の東京オリンピックを控え、日本の伝統芸能に対する関心は非常に高まっているといえます。
今回は、伝統芸能の中でも和歌に焦点を当て、そしてその中でも特に「長歌」について基本的な情報からおすすめの参考書籍まで、総合的にご紹介します。
長歌に関する情報は非常に少なく、日常生活の中で触れる機会もほとんどないため、ピンと来る方はあまりいないと思いますが、入門書や解説本が出版されていますので、この機会に和歌の世界を覗いてみてはいかがでしょうか。昔の人々の感性の鋭さに驚くとともに、歌を通して心情を開く勉強することができますよ。

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長歌とは?意外に知らない基本情報を見てみよう!

和歌の形式の一つ、長歌(ちょうか)について簡単に説明します。長歌は、基本的には五音と七音の句を繰り返して詠まれる和歌で、「五七」を3回以上繰り返し、最後に「七」で締めくくる形式が一般的です。
初期の長歌には、一句が三音、四音、六音だったり(字余り・字足らず)と、今と比べると変則的なものもありました。
長歌は『日本書紀』や『古事記』の時代まで遡り、柿本人麻呂においてその頂点に達したといわれています。『万葉集』には260余首が収録されていますが、そのうちの90首近くは「人麻呂作」と明記された歌です。長歌は、平安時代以降は次第に衰え、詠まれなくなったといわれています。

長歌を始めた人って?気になる創始者「佐山検校」について

五七、五七、五七、…、七の句切れを持つ長歌そのものは『日本書紀』や『古事記』の時代まで遡り、日本で最も古い歌集である『万葉集』(成立年代は不明)の時代に表現技法が確立されました。しかし、誰がいつ詠んだものが始まりなのか、はっきりと分かるものはないといわれています。
『万葉集』は、5世紀半ば頃の雄略天皇の長歌で始まります。雄略天皇の歌謡(長歌)は『古事記』の中でも非常に多く登場しますので、雄略天皇はよほど長歌が好きだったのかもしれません。
その後江戸時代に入り、「佐山検校」が地歌の一種である長歌(ながうた)を創始したといわれていますが、今回ご紹介する長歌(ちょうか)とは別の物として捉えておく必要があります。

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いつからあったの?長歌の歴史をたどってみた!

長歌の始まりは古代の歌謡に遡り、古の日本において長歌は、心情を的確に表現する手段として日常的に用いられていたといわれています。『日本書紀』や『古事記』の中に多く登場し、最盛期は『万葉集』の時代といわれています。表現技法が発達し、長歌の形式が整ったのもこの時期だといわれています。平安時代に入り、奈良時代に広く詠まれた長歌や旋頭歌といった和歌の形式は次第にすたれ、今日の日本では「和歌」といえばもっぱら「短歌」を指し、長歌はほとんど詠まれなくなってしまいました。

いま有名な「柿本人麻呂」さんてどんな人?

長歌を含む和歌とは、古代日本で詠まれていた詩歌のことを指し、漢詩に対し、日本特有のものをいいます。ここでは、長歌の第一人者とされる人物は一体誰なのか、検証していきたいと思います。
『万葉集』を代表する歌人は何人もいますが、長歌の第一人者となれば、9割以上の方が柿本人麻呂を挙げるのではないでしょうか。「柿本人麻呂」によって枕詞や序詞などを駆使した格調高い歌風の長歌が多く詠まれました。『万葉集』だけでも長歌19首、短歌75首、賛歌や挽歌(ばんか)、相聞歌(そうもんか)など幅が広い歌を残しました。

これであなたも長歌マスター!注目の和歌をご紹介

なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名づけも知らず くすしくも います神かも 石花の海と 名づけてあるも その山の つつめる海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも
こちらは万葉集に載っている山辺赤人が詠んだ有名な長歌です。富士山を畏怖の対象でもあり、神秘的な存在でもあると捉え、だからこそ魅力的であるとうたっている長歌です。

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