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北キプロス - ビーチ・砂浜,海岸・海,モニュメント・記念碑,寺院・教会,史跡・遺跡
北キプロスは、「北キプロストルコ共和国」と言う名称を持つ少し変わった場所になっています。 国旗はトルコの国旗の色をひっくり返した物で、9割以上がトルコ系の住民になっており、公用語もトルコ語で、トルコの一部のようでトルコではないという場所です。美しいビーチや自然豊かなスポット、「サラミス遺跡」などの歴史スポットに、ショッピングスポットなど見どころが満載!新鮮なシーフードグルメを楽しめるレストランや、プライベートビーチを持つラグジュアリーなリゾートホテルなどもたくさんそろっており、トルコのリゾート地よりリーズナブルなのが特徴です。 この記事では北キプロスでオススメの観光スポットをご紹介します。ぜひ参考にしてみてください。
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北キプロス - 史跡・遺跡
悲劇“オセロ”の舞台で有名 キプロス北部の港町ファマグスタにある塔で、14世紀に建てられました。かつてヴェネチアによって築かれたファクダマスのオセロの塔の入口には、ヴェネチアの象徴である「有翼の獅子」が残されています。シェークスピアの悲劇「オセロ」の舞台となったことでも有名です。
北キプロス - 旧市街・古い町並み
レドラ通りは、キプロスの首都ニコシアの旧市街のメイン通りです。 キプロスは、小さな島ながら、トルコ側の支配する北キプロス・トルコ共和国と、ギリシャとの結びつきの強いキプロス共和国の南北に分かれています。南北を分断しているのが、グリーン・ラインという境界線ですが、この線が、レドラ通りにあります。内戦が勃発してから封鎖されていたレドラ通りの検問所は、2008年からはパスポートを提示すれば自由に行き来できるようになりました。 レドラ通りは、南北を貫き多くのレストランやカフェ、お洒落が大型ショップが連なる、賑やかな通りとなっています。
北キプロス - 博物館
キプロスの首都ニコシアにあるレベンティス私立博物館は、クリーム色の外観が特徴的。 古代から現代までのニコシアの歴史や生活などが時代ごとに展示されています。大きなニコシア市内の模型もあります。考古学的な遺物から写真、衣装、地図、彫刻、家具、中世の陶器、武器など、キプロスの作品を広範囲で紹介してあります。 入場無料で気軽に訪れることができ、火曜から日曜の10時~16時30分までオープン。祝日は閉館となっています。 ショップも併設されており、展示品に関連するアイテムなどユニークで便利なグッズが販売されています。
北キプロス - 寺院・教会
マカイラス修道院は、ニコシアにあるマカイラスの山林に位置する、聖母マリアを崇拝する修道院です。ラザニアの村に近い、海抜約870mの所に、12世紀に建てられました。 その歴史は、ビザンチウムでの偶像破壊運動の時代に、隠者がアジアから密かに持ち帰った使徒ルカにより描かれたと言われる70の像の内の一つから始まったと伝えられています。洞窟で見つかった聖母マリアの像は「マカイラス」と呼ばれ、それを見つけた僧は、コンスタンチノープルへ旅立ち、1722年にビザンチン皇帝マヌエル・コムネノスから金銭的援助を得ることに成功、キプロスに戻り、修道士ニーロスにより小さな教会を作りました。彼が初代の修道院長となり、のちに、タマソスの司教となりました。 石板の碑文によると、修道院は1530年に焼失、聖母マリアの像だけが残りました。1697年に改装された修道院のレイアウトは長方形で、タイル張の木材屋根で覆われています。修道院の主要通路には、西側に柱のある素晴らしいプロピレアがあり、修道院の中には、聖母マリアの像やフレスコ画、シャンデリアがあります。
北キプロス - 博物館
ブユック・ハンは、北キプロス・トルコ共和国の首都レフコシャ(ニコシア)にあり、キプロス島で最も美しく、最大のキャラバンサライです。 オスマン帝国がウェネツィエア共和国に代わって、この島を支配するようになった16世紀に建てられた建築物。中庭には、モスクとウドゥ(清め)のための泉があります。大英帝国占領時代には牢獄として使用されていましたが、1893年には貧しい人たちのための宿泊所として改装され、1990年代後半には、民芸品ギャラリーやカフェなどの施設に改装されました。 オープンカフェでのんびりする地元の人や、お土産を求めて観光客が集まる憩いの場となっています。
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