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「マヤカン」こと摩耶観光ホテルが建てられた経緯とは?
「マヤカン」こと「摩耶観光ホテル」は、神戸市の摩耶山の中腹に位置している、もう何十年も前に営業が停止し、廃墟となっているホテルで、現在は歴史的な観光スポットとして注目を集めています。大正時代に、摩耶山の開発計画が進み、ケーブルカーが開業するとともに、遊園地など様々な観光施設ができていき、近代交通機関が整備された観光地として多くの人が訪れるようになります。その開発計画の一環として建てられたホテルが摩耶観光ホテルになています。
摩耶観光ホテルと戦争、ホテルとケーブルカーの営業停止
兵庫県神戸市灘区の摩耶山の中腹にあったホテル・摩耶観光ホテルは、摩耶山が観光地としてにぎわい始めたことに伴い1929年の11月に営業を開始し、多くの観光客に利用されていましたが、第二次世界大戦中の1945年に、摩耶鋼索鉄道摩耶ケーブル線の運行が停止されるのと同時に1回目の営業停止となりました。
摩耶山と摩耶観光ホテルのにぎわいを取り戻すための観光地化と営業再開
現在は、廃墟となっている神戸の歴史的観光スポットになっている摩耶観光ホテルは、第二次世界大戦が終結した後、ケーブル会社から民間会社に売却され、再び賑わいを取り戻すべく全面改装を行って1961年に再オープンをしました。摩耶山の観光地化も再び力が入り、ホテルにもまた多くの人が訪れるようになりました。
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土砂崩れによる2度目の営業停止、華やかだったホテルは学生向け合宿施設へ
第二次世界大戦後に、民間会社に売却され、営業を再開し、再び賑わいを取り戻した摩耶観光ホテルでしたが、1967年の台風被害により、再び営業停止を余儀なくされます。その後は、1974年ごろから、華やかだったホテルから学生のゼミ合宿、サークル合宿などのための「摩耶学生センター」として転用されました。
管理者の体調不良、永遠の営業停止へ
摩耶山の観光地化計画とともに立てら観光ホテル・摩耶観光ホテルは、華やかなホテルから2度の営業停止を経て、ゼミ合宿やサークル合宿などで学生が利用するための合宿センターとして営業を続けていましたが、1993年に管理者の体調不良のため、3度目の営業停止となり、とうとう営業を再開をすることはなく、永遠の営業停止となりました。
摩耶観光ホテルの現在は廃墟マニアの聖地になっていた!
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摩耶山の観光地化計画とともに立てられた摩耶観光ホテルは、2度の営業停止を経て学生向けの合宿センターとなり、1993年にとうとう永遠の営業停止となってしまった後は、管理をする人もおらず、どんどんと風化していきました。そんな廃墟化した摩耶観光ホテルは、いつの間にか廃墟マニアの間で話題となり、「廃墟の女王」と言う名で呼ばれるようになり、廃墟マニアの聖地となっていったのです。
時が止まった摩耶観光ホテルの内部はどうなっているの?
永遠の営業停止となってからは、管理をする人もおらず、どんどんと風化し、周りは気が生い茂っていき廃墟化していった摩耶観光ホテル。その内部は現在、壁が落ち、窓が外れ、誰も座ることができない壊れた椅子などがあちらこちらに転がっています。天井も崩れ、時間が止まったかのような不思議な空気が流れています。
アールデコの建築が施された美しい建物
現在は、廃墟化し、天井や壁、窓なども壊れ、彩りもなくなっている摩耶観光ホテルですが、アールデコ風の新しい建築様式のユニークな建築物として話題を集めていました。今北乙吉の設計になっており、昔のヨーロッパのような雰囲気を感じさせる作りが、異国情緒漂う神戸の街にピッタリで、多くの観光客を虜にしていました。
取り壊し寸前まで行った摩耶観光ホテルの保存活動
廃墟となり、廃墟マニアの聖地となっていた摩耶観光ホテルですが、取り崩しの計画が浮上しました。その計画を知った多くの廃墟マニアの人たちが中心となり、安全に、近代化遺産としてあるべき姿で残し、有形文化財の登録を目指そうと立ち上がり、保護活動を始めました。安全に見学をできるように管理をしたりしながら、観光スポットとしての認知度を高めています。