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そもそも殺生石って何なの?
ちょっと物騒な響きがする「殺生石(せっしょうせき)」ですが、こちらは栃木県那須町を代表する観光地・那須湯本温泉付近にある溶岩の一つです。殺生石の付近一帯は「殺生石園地」という名称で呼ばれており、多くの歴史や伝説が残されているパワースポットとして多くの人が訪れる地となっています。かの有名な松尾芭蕉もこの殺生石園地を訪れており、代表作である『おくのほそ道』にその様子が記録されています。
殺生石には古くからの伝説が!
現在では那須高原を代表する景勝地として知られる殺生石ですが、数々の伝説を秘めた由緒正しいスポットでもあります。その歴史を知らなくても殺生石の観光を楽しむことも可能ですが、せっかく訪れるのであれば殺生石にまつわる歴史や伝説をちゃんと知っておいたほうが存分に堪能することができるのでおすすめです。この記事では殺生石にまつわる伝説をわかりやすく紹介します。
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時の権力者たちを陰で操る絶世の美女「玉藻の前」
「玉藻の前」とは、インドや中国などで悪事を働いた妖狐の化身であり、絶世の美女の姿で時の権力者である鳥羽上皇の前に現れ、彼の寵愛を受けていたといわれています。鳥羽上皇の命を奪い、国を自らの手中に収めようとしたところで陰陽師・阿部泰成にその正体を見破られました。玉藻の前は狐の姿になってこの那須高原の地へ逃げ込み、退治されたのち巨石に姿を変えたといわれています。
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正体は 妖怪界最恐!?「九尾の狐」
九尾の狐とは、そもそも中国の神話に登場する霊獣もしくは妖怪の一種とされており、中国、日本、朝鮮、ベトナムといったアジア周辺の国において古くから言い伝えられている存在です。『封神演義』に登場する美女・妲己の正体も九尾の狐であるといわれており、妖怪の中でも非常にパワーが強く、恐れられるべき存在であったことがよくわかります。
石になってもパワーは衰えず!狐から「殺生石」へ
那須野が原へ逃げ込んだ玉藻の前は、上野介広常、三浦介義純の両名によって討伐され、命を落としました。狐は死んだのち、巨大な石に姿を変え、これで玉藻の前の災難も落ち着いたかと思われたものの、その後も被害は続きます。巨石となった狐は死してもなお怨念を残し続け、近づいた人や家畜、鳥や獣などの命を奪い続けました。室町時代に入り、その悪評を耳にした名僧・源翁和尚が石を割り、3つに割れた石の一つが現在の殺生石となっています。
殺生石の現在は?
そんな暗い歴史と伝説が残されている殺生石ですが、現在はもちろんそのような呪いもなく、観光スポットのひとつとして整備されており、観光客でも気軽に観光しに訪れることができるようになっています。しかしながら石にはしめ縄がかけられており、近寄ると少し不思議な雰囲気が感じられるかも。また、周辺一帯は有職ガスである硫化水素、亜硫酸ガスなどが噴出していることもあって、ガスが多いときには立ち入りが制限されることもあります。