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ひめゆりの塔とは
ひめゆりの塔は、沖縄県糸満市にあります。戦時中、沖縄師範学校と沖縄県立第一高等女学校に通っていた女学生や教師が負傷兵の治療にあたり、ひめゆり学徒隊と呼ばれました。その名にちなんだ慰霊碑がひめゆりの塔です。
隣接するひめゆり平和祈念資料館では、沖縄戦での貴重な資料や女学生達がどんな体験をしたのか、戦争の悲惨さを後世に伝えています。
沖縄を訪れる前に知っておきたい戦争の歴史
第二次世界大戦末期の1945年の4月、沖縄にアメリカ軍が上陸しました。激しい地上戦が行われ、多くの人々が命を落としました。
ひめゆりの塔に祀られているひめゆり学徒隊は、看護要員として戦場に動員されましたが、沖縄戦末期にアメリカ軍のガス弾攻撃を受け、多くの学徒が犠牲になりました。現場である伊原第三外科壕の上に、ひめゆりの塔が建立されています。
「ひめゆり学徒隊」ってどんな人たち?何をしたの?
ひめゆり学徒隊は、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の15歳から19歳の女子学生222名と教師18名が看護要員として、沖縄陸軍病院に動員されました。
負傷兵が増え続け、学徒たちは寝る間もないほど働き続けました。看護だけでなく、食料の運搬や水くみ、死体の埋葬も彼女達の仕事でした。壕の外は砲弾が飛び交う戦場で、危険な環境の中仕事をしなければなりませんでした。
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ひめゆりの塔では毎年慰霊祭が開かれている
ひめゆりの塔では、沖縄戦が終結したとされる6月23日の慰霊の日に、毎年慰霊祭が行われています。2019年には併設されているひめゆり平和祈念資料館が開館30周年を迎えたこともあり、同窓生や関係者など約350人もの参列者が訪れ、亡くなったひめゆり学徒を追悼しました。式典では同窓生らで校歌が歌われたり、改めて戦争の悲惨さを思い、不戦への誓いを新たにし、後世へと伝えています。
ひめゆり平和祈念資料館で歴史を学ぼう
ひめゆりの塔には、ひめゆり平和祈念資料館が隣接しています。資料館には、第一展示室から第六展示室に分かれていて、ひめゆり学徒たちが働いた病院壕のジオラマや多くの生徒が犠牲となった伊原第三外科壕(ひめゆりの洞くつ)が実物大で再現されています。
資料館は年中無休で9:00〜17:30まで開館しています。入館料は、大人310円、高校生210円、小・中学生110円です。
ひめゆり平和祈念資料館の見どころは?
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ひめゆり平和祈念資料館には、ひめゆり学徒隊が動員された沖縄陸軍病院の病院壕のジオラマがあり、40年後に発掘された、現場で使われていた医療器具やひめゆり学徒たちが戦場に持参していった品々を実際に見ることができます。
他にも多くの人々が犠牲となった伊原第三外科壕の実物大ジオラマ展示もあります。
第一展示室の展示内容は?
第一展示室は「ひめゆりの青春」がテーマとなっています。
10代の明るい学校生活が長引く戦争で次第に軍事化されていきます。当時の教育は軍国主義、皇民化教育が行われていましたが、平和や戦争に対する教育がいかに大切かを伝えるブースとなっています。当時、ひめゆり学徒たちが信じていた教育がどれほど恐ろしいものだったのかを伝える重要な展示となっています。
第二・第三展示室の展示内容は?
第二展示室は「ひめゆりの戦場」がテーマとなっています。看護要員として動員された南風原の沖縄陸軍病院の様子が展示され、病院壕を再現したジオラマもあります。
第三展示室のテーマは「解散命令と死の彷徨」で、生存者の証言映像やアメリカ軍の記録フィルムを見ることができます。突然告げられた解散命令、ひめゆり学徒隊が戦場に放り出された悲惨な状況を知ることができます。
第四・第五・第六展示室の展示内容は?
第四展示室のテーマは「鎮魂」で、沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒や教師たちの鎮魂の空間となっています。展示室の壁には227人の遺影がかけられ、命の大切さを考えさせられます。多くの生徒が亡くなった伊原第三外科壕の実物大に再現したジオラマも展示されています。
第五展示室のテーマは「回想」。これまでの展示を振り返り、命の大切さや戦争の悲惨さを考える場所です。ペンと紙が用意されていて、展示を見て感じたことや思いを記すことができます。
第六展示室のテーマは「平和への広場」。2004年に新設された展示室で次の世代の人々が平和を語り合える場として利用されています。