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沖縄は道路元標(どうろげんぴょう)の宝庫!沖縄にある道路元標と周辺観光スポットのまとめ

全国各地にあり、道路の起終点を示す「道路元標」。特に「日本国道路元標」が有名ですね。しかし、沖縄の道路元標も、その複雑な歴史を伝える貴重な存在となっています。道路元標は、戦前の法律に基づき、60cm程の四角柱状の石材に文字を彫り込んだものがほとんどです。一方石垣島の道路元標は、琉球政府が成立するまで1950年から1952年の間存在していた米軍統治下の八重山群島政府が設置した、アメリカの影響を受けて作られた非常に珍しい貴重な史跡となっています。他にも、歴史を伝える道路元標がたくさんあり、周辺の観光スポットも併せてご紹介。沖縄観光をより感慨深いものにしてくれる、道路指標を探してみませんか?

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更新日: 2023年11月22日

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道路元標とは?

道路元標とは、道路の起終点を示す標識のことです。里程調査のために明治時代初期に定められたものと、旧・道路法施行法令公布で大正時代に定められたものの2つがありますが、正式には大正時代に定められたものが道路元標と呼ばれ、明治時代のものは里程元票と呼ばれます。さらに現在、一般国道などの起終点にある道路元標は、太平洋戦争後の昭和時代に設置されたものです。特に有名なのは東京の日本橋に設置された「日本国道路元標」で、主要国道7路線の起点を示しています。

日本の起点!東京日本橋「日本国道路元標」

日本橋中央の国道上には、「日本国道路元標」が埋め込まれており、日本全国に巡らされた道路網の起終点となっています。日本橋は江戸時代初期に徳川家康の命で、初代の木造橋が創架されて以来消失や再建を経て、現在のものは19代目もしくは20代目とされ、重要文化財に指定されています。通常は国道のため撮影できませんが、イベントなどで車両通行止めになった時のみ撮影チャンスあり。また日本橋のたもとにある「元標の広場」でプレートのレプリカを見ることもできます。

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沖縄の道路元標が注目される理由

第二次世界大戦における地上戦が繰り広げられた沖縄県には、戦前の史料をはじめ、石碑や建物に至るまで焼失損傷してしまいました。戦前の道路法により設置された道路元標に関しても、その手掛かりを辿ることは非常に難しく、残存しているのは「読谷山村道路元標」のみ。戦後は米軍統治のもと、沖縄、八重山、宮古、奄美の各群島政府が置かれ、予算・物資もない中で、八重山群島政府が1951年に道路元標を建設していて、これは、現在も石垣市に残っています。1952年琉球政府下で道路法(旧法)が成立、規則には道路元標に関する規定が盛り込まれましたが、実際には、行政主席が道路元標の位置を定めた文書が発見されていないことは現物も未発見。1965年制定の道路法(新法)では、もはや道路元標の規定はなく、沖縄での道路元標の行政上での使命は終わりを告げました。沖縄に残る戦前では唯一の道路元標、さらに戦後、八重山郡島政府が設置した道路元標は、貴重な史跡として注目を集めているのです。

沖縄の道路元標:玉城村道路元標

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玉城村道路元標は、沖縄県南城市佐敷字新里にある南城市役所内の右手の階段の所、役所本庁舎の前にあります。石碑自体は古いですが、「玉城村道路元標」と文字は割と鮮明に残っています。

玉城村道路元標周辺の観光スポット:久高島

琉球の創世神“アマミキヨ”が降臨したと伝われ、島全体がパワースポットの「神の島」として知られる離島。美しい海の景色にレトロ感あふれる沖縄集落の景色、心温まる島ごはんなどが盛りだくさんの久高島は、沖縄本島からフェリーで約20分でアクセスできます。島の周囲は8km程度と狭いので、アマミキヨが作ったと云われる琉球七大御獄の一つ「フボー御嶽」をはじめ、自転車でも数時間あれば廻ることができます。

沖縄の道路元標:美里村道路元標

「美里村道路元標」は、松永眼科の西側にあります。昔、美里村役場があった(旧美里村役場跡)敷地内に残っていて、地理学の情報源として最も重要な石碑です。美里村(みさとそん)は、沖縄県中頭郡にあった村で、1974年にコザ市と合併、沖縄市になって消滅。合併後、美里村役場は、沖縄市役所美里支所、第二庁舎、美里出張所と名前・場所が変更されましたが、2004年に廃止されました。

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