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【沖縄】糸数アブチラガマと周辺ガマ(壕)を巡る旅、沖縄戦の悲劇を伝えるものとは

沖縄といえば、琉球王国をはじめとした独自の文化や歴史を楽しめる、観光スポットがたくさんあります。しかし楽しい歴史や文化だけではなく、忘れてはいけないものに第二次世界大戦の沖縄戦があります。 沖縄県内には、この悲惨な沖縄戦を物語る、沖縄の方言で「ガマ」といわれる洞窟や壕が残っており、糸数アブチラガマもそのうちの1つ。この糸数アブチラガマは、沖縄戦で悲惨な運命を辿った、ひめゆり部隊が派遣されたことでも有名です。今回は糸数アブチラガマはもちろん、ひめゆり部隊や沖縄戦にかかわりのある周辺スポットも合わせて紹介します。

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更新日: 2023年11月22日

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糸数アブチラガマとは?

沖縄本島南部、南城市玉城字糸数にあるのが、糸数アブチラガマです。アブチラガマとは沖縄の方言で「アブ」は深い縦の洞穴、「チラ」は崖、「ガマ」は洞窟やくぼみのことです。全長270mのガマは、住人の避難所や病院として利用されていました。沖縄戦の歴史を残すガマには、修学旅行や観光などでたくさんの人が訪れています。

ひめゆり部隊が配属された糸数アブチラガマ

糸数アブチラガマは、沖縄戦の当初は糸数集落の住人が避難する避難指定壕でした。しかし戦いが進むにつれ、日本軍の陣地壕と倉庫として、さらに戦場が南下していくとともに南風原陸軍病院の分室として使用されるようになりました。南風原陸軍病院の分室として使用されている際に配属されたのがひめゆり部隊で、負傷兵の看護にあたっています。

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糸数アブチラガマへ訪れる際注意したいこと

糸数アブチラガマは、懐中電灯とガイドなしでは入ることができず、予約制となっています。予約方法は、空き状況を電話で確認した後、入壕申込書をFAXで送信、さらにガイド依頼書をFAXで送信します。入場料は、個人が大人(高校生以上)250円、小人(小学生~中学生)100円。足元が滑るため歩きやすい服装で、雨天時レインコート必須。内部撮影禁止です。

糸数アブチラガマへのアクセス

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那覇空港からのアクセスは、国道332号を北西方向に進み、那覇空港入口でUターンし国道332号を進み、分岐を左方向へ向かうと名護/嘉手納/国道331号の標識が見え合流。国道331号を進み明治橋を右折し、国道329号に入り進み右折し津嘉山バイパスへ入ります。南城/那覇/豊見城方面の県道48号出口を出て進むと到着。所要時間は約35分です。

糸数アブチラガマ周辺に残る戦争遺跡をご紹介

第二次世界大戦において、日本で唯一の地上戦が行われた土地が沖縄です。沖縄県内には、その悲惨な沖縄戦の歴史や名残、平和の尊さを感じるスポットが数多くあります。ここからは、ひめゆりの塔やひめゆり平和祈念資料館など、糸数アブチラガマ周辺に残る戦争遺跡をご紹介します。すべてを回って戦争の悲惨さ、平和の尊さを感じてみてはいかがでしょうか。

ひめゆり部隊最期の地、「ひめゆりの塔」「ひめゆり平和祈念資料館」

沖縄戦で看護要員として動員され、若い命を散らしていったひめゆり学徒隊。その多くが亡くなったのが、伊原第三外科壕です。その伊原第三外科壕跡の上に建てられたのが、慰霊塔の「ひめゆりの塔」。さらにひめゆりの塔の隣には、ひめゆり学徒隊の遺品や、伊原第三外科壕を実物大で再現したものが展示されている「ひめゆり平和祈念資料館」があります。

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