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「浅草寺」は歴史がおもしろい! 仲見世が楽しい

東京都浅草にある「浅草寺」は、東京観光のメッカになっています。毎年、地方から海外から年間3,000万人の人びとが浅草に集まってきます。所狭しと路面店が立ち並ぶ、浅草寺の仲見世などには、観光客が絶え間なく買い物や見物に訪れ、東京の名物シーンでもあります。その浅草寺の歴史を知る人はどれくらいいるでしょうか。じつは浅草寺は歴史の面白いお寺なのです。浅草寺の歴史を知れば日本の仏教の歴史や、武将たちの歴史が分かり、浅草寺の見方が一変します。 今回は、じっくりと浅草寺の歴史をひも解いて、浅草寺観光を興味ある楽しいものにしていきましょう。霊験あらたかな「浅草寺の知られざる歴史」と、「浅草寺の境内巡り」、浅草寺までのアクセス情報など、浅草寺に関わる興味ある内容を紹介します。

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更新日: 2023年11月21日

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浅草の観光事情について

浅草のおすすめ観光シーズン、気候

東京の観光地の中でも海外の方にも人気の高いのが浅草エリアです。一年を通じて、東京の平均的な気温です。春は花見、夏は川辺で遊んだり、クーラーが利いた建物内で遊んだり、浴衣を着て日本情緒を味わうのもおすすめ。一年中が観光シーズンといっても過言ではありません。残暑は少し厳しいですが、食べ歩きをしながら仲見世通りを観光するのもいいかも。空気の澄んだ冬は夜景を楽しむのも乙。

浅草の主要観光エリアとその特徴とは?

浅草駅周辺の浅草エリアに観光スポットが集中しており、1日あれば十分観光できます。待ち合わせの浅草寺の雷門からスタートし、にぎわう仲見世通りを通って本堂でお参り。本堂と五重塔とのコラボ写真もお忘れなく。その後は、浅草神社や縁結びで知られる今戸神社など9つの寺社に祀られる、浅草名所七福神を巡るのがおすすめです。

花やしきで日本最古のコースターに乗ったり、浅草文化センターの展望台からスカイツリーの眺望を楽しんだりも◎。「新仲見世商店街」でのお買物もお忘れなく!浅草公会堂正面入り口の300人ものスターの手形がある「スターの広場」も思い出にぜひ。隅田川クルーズのサンセットや人力車で巡る観光もぜひ。

浅草への観光アクセス、交通情報を紹介

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浅草の歴史や文化を知ろう

浅草ゆかりの人物

浅草出身の有名人といえば、少年時代の小説で有名な山田太一氏や山下清画伯、時代小説化の池波正太郎氏など、名の通った逸材が揃っています。コメディアンの東八朗・貴博親子や、放送作家でタレントの永六輔氏もここで生まれました。ゆかりの有名人といえば『男はつらいよ』の渥美清さん。ビートたけしさんは芸能人になるため浅草で下積み時代を過ごし、エレベーターボーイをしていたフランス座などゆかりの地が多く残っています。

浅草の世界遺産・歴史的建造物

浅草寺の中には歴史的建造物がたくさんあります。本堂の東に建つ朱塗りの「二天門」や北西に建つ都内最古の木造建築といわれる寄棟造りの「六角堂」、享保5年(1720年)に銅で作られた「観音菩薩坐像」が、主な歴史的建造物です。伝法院庭園内には、都内最古の茶室「天祐庵」もあります。
浅草駅には鳩ポッポの歌碑があり、隅田公園の中には滝廉太郎の「春」の歌詞が書かれた花の碑も。歌舞伎が好きな方は、猿若三座も見る価値あり。

浅草ゆかりのロケ地

下町情緒を今に残す浅草には、浅草寺を中心に映画やドラマのロケが行われた地はかぞえきれません。2010年に公開の『パレード』にメリーゴーランドが使われた花やしきや北野武監督の『菊次郎の夏』には、ひさご通り商店街をはじめ浅草界隈が使われました。もちろん『男はつらいよ』の浅草国際劇場も忘れられません。ジブリ作品の『風立ちぬ』では、浅草花川戸船着場が使われています。

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■浅草寺の歴史を紹介

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浅草寺の歴史は今から約1400年前までにさかのぼります。
浅草寺のはじまりは、628年(推古天皇36年)に、宮戸川(現、隅田川)で、漁師を営んでいた二人の兄弟、檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)は、ある朝いつものように川に網を打っていると、その網のなかから、一体の仏像が出てきました。二人は仏像を川へ返し、何度か再び網を打ちましたが、そのたびに網には仏像が、入ってくるのです。そこで二人はその仏像を持ち帰ることにし、土地の長、土師中知(はじのなかとも)にその仏像を見てもらうことにしました。
すると、「仏像は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」ということが分かり、翌日には近くの子どもたちがつくった草のお堂に、観音さまをお祀りしました。
土師中師は「お名前を称えて一心に願い事をしなさい。そうすれば、必ず功徳をお授けくださる仏様だ。」と浜成・竹成兄弟や近くの人びとに言ってきかせました。そして土師中知は自分の家を寺にして、観音さまをお祀りしました。
645年(大化元年)、勝海上人という一人の僧が、浅草寺の観音堂を立派な建物へとつくり直しました。そんなある夜、勝海上人は「みだりに拝するなかれ」という観音さまの夢のお告げにより、ご本尊さまは秘仏とされ、それは今日まで受け継がれて未だに浅草寺の、ご本尊さまは公開されていません。
平安初期の857年(天安元年)には、比叡山第3世天台座主慈覚大師円仁が来山し、秘仏のご本尊さまの前に、前立を謹刻しました。このときに浅草寺は慈覚大師が中興開山したのです。
それからの浅草寺は、日本の仏教の隆興とともに、聖地として次第に発展していったのです。そして平安中期の942年(天慶5年)には平公雅が浅草寺に参拝し、武蔵の国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の東部)の国守を祈願し、願いがかないました。公雅は感謝を込め、七堂伽藍を建てました。
浅草寺はこの頃、関東では比類のない霊場となって、さらに信仰を集めていったのです。

1041年(長久2年)の12月22日に関東に大地震が起こり、このときの地震で浅草寺の建造物も倒壊。この惨状に寂円上人という修行僧は再建を志します。修行僧寂円上人は山中から材木を伐採し、茅葺(かやぶき)を集め10年後の1051年(永承6年)にはついに本堂を落慶しました。
浅草寺はこのあと28年後の1079年(承歴3年)に原因不明の火災で寺院は炎上したのです。このときに、ご本尊が本堂の西方の榎の木に自ら避難し、難を逃れた、との故事が伝わりました。

そして、そのあと1169年(仁安4年)には学頭の用舜上人が中心となって浅草寺は再建を行いました。このときの不思議な言い伝えで、用舜上人が聖観音の秘法で大雨が降り注ぎ、その勢いで山を伐採した材木は、つぎつぎと隅田湖畔に流れ着き、用材を無事に確保できたといわれています。
隅田川と浅草寺の結びつきの深さが、伝わる言い伝えです。

観音堂が火災にあった承暦の火災から70年ののち、このときの観音さまが榎の木に避難して難を逃れたという霊験を聞いた源義朝は、浅草寺に観音像を奉納したのです。そしてその観音像は、その時の榎の木でつくられたものと言い伝えられています。
そして義朝の子の源頼朝もまた、観音さまを信仰し、1180年(治承4年)平家討伐の戦陣を勧め、武蔵国へ入った時に浅草寺で勝利を祈願するのです。その後1189年(文治5年)にも頼朝は、戦勝を願い浅草寺に田園を寄進しています。

やがてほかの武者たちも信仰してゆきます。鎌倉時代には浅草寺は武将や武者たちの、戦の守護として発展していきました。
この頃、第十三番霊場となった浅草寺は今も巡礼者が訪れます。
浅草寺は室町、安土桃山時代には、全国各地にその霊験は知れ渡ります。足利尊氏、足利持氏、北条氏綱と、武将たちの信仰を集めていったのです。

1590年(天正18年)に、徳川家康は江戸に入府しました。江戸幕府が開かれると浅草寺は、さまざまな理由から、祈願所に定められました。一つには家康が信任していた慈眼大師天海の進言、江戸城の鬼門に当たること、天台宗の古利に名高いこと、そして源一族に信仰されてきた、由緒ある寺であることが、数ある仏閣のなかから選ばれた理由です。さらに家康は頼朝を尊敬していたのです。
天下分け目の関ヶ原の戦いでは、浅草寺で祈祷が行われ、そして見事に家康率いる東軍が勝利をおさめ、それと同時に浅草寺の霊験も全国に広まったのです。

それからは徳川一族の江戸時代が始まります。江戸時代は平和の時代、戦はありません。そのあいだの浅草寺には内部のさまざまな問題が沸き起こります。そして幕末近くなってくると、幕府も力が衰え、浅草寺を維持できなくなってきます。その頃の浅草寺は庶民とのつながりができ始めます。

江戸時代、浅草寺周辺は参拝・行楽など大きな繁華街になっていきました。水茶屋や見世物小屋などが立ち並び、多くの興行が行われ、参拝人たちを喜ばせました。
そして将軍たちも江戸の町を訪れ、浅草寺を中心に将軍や町の人びとなど、みんなが楽しい時代が続きました。この頃の江戸の風景は、多くの芸術作品にも表され、当時の賑わいぶりを知ることができます。

知っているともっと楽しい!浅草寺の豆知識

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浅草寺は霊験あらたかで、不思議なお話が多くあります。
最初のお堂をつくった勝海上人というお坊さまが、夢枕に「みだりに拝するなかれ」という観音さまのお告げを守り、今も浅草寺ではご本尊さまは秘仏とされ非公開です。
そしてもう一つ。ある火災の時、ご本尊さまは自ら榎の木へ避難され難を逃れたという逸話があります。
その時の榎の木でつくられた観音像を源義朝が奉納したと伝えられています。

浅草寺に来たら外せない!定番観光スポット

浅草寺

浅草寺を訪れたら、ぜひ立ち寄りたいスポット「雷門」「仲見世」「宝蔵寺」「お水舎」「本堂」の5カ所です。
まず浅草寺に来たら「雷門」で写真を撮って門をくぐり、「仲見世」で店先をのぞきながら気に入ったものを買い、「宝蔵門」の素晴らしい阿吽像を見物し、「お水舎」で清めて「本堂」でお参り、という基本コースをこなしたら、あとは好きなスポットへ赴き浅草寺を楽しみましょう。

雷門

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「雷門」は大きな赤い提灯で、浅草寺正面入り口に設置されています。そしてこのスポットは、浅草寺観光のフォトスポットでもあります。
この雷門が創建された時期は明らかではなく、雷門の正式名称は「風雷神門」といいます。門には風神と雷神を左右に置き、風雨を司る神です。同時に五穀豊穣の祈りも込められています。

いつごろから「雷門」と呼ばれるようになったのかは定かではありませんが、文化年間(1804年~18年)には川柳に"雷門”の句があり、すでに雷門と呼ばれていたようです。
雷門は焼失と再建を繰り返して来た門です。近年では慶応の焼失以来95年間、雷門は再建されませんでしたが、1960年(昭和35年)に松下電器産業(現、パナソニック)の松下幸之助氏が寄進して再建されています。
また、風神雷神の背後に安置されているのは、天龍像・金龍像で、水を司る龍神で浅草寺の護法善神です。
浅草寺の雷門には、風神雷神、そして水を司る龍神が置いてあるのです。

仲見世通り

淺草寺

仲見世は、浅草寺雷門をくぐってまっすぐに伸びた道に、さまざまな商店が集まってできた商店街です。仲見世は江戸時代1685年(貞享2年)ごろから始まった、庶民の参拝者の増加にともない、境内の清掃などをするかわりに、出店の許可を与えたのが、仲見世の発祥と言われています。
仲見世には、さまざまなお店が並んでいますが、海外の観光客がよく購入するのが日本の伝統の和小物やTシャツ、和菓子などです。ここ浅草寺ならではの、日本の伝統の雑貨や和菓子などを見て歩くのは、浅草寺観光の一番の楽しみかもしれません。

本堂(観音堂)

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浅草寺本堂は、浅草寺の核心部分です。今から1400年前に隅田川で発見され、お祀りをして浅草寺の歴史が始まった、そのご本尊さまが祀られているお堂です。
本堂は、内陣と外陣に分けられていて、ご本尊さまは一番奥の内陣中央御宮殿(ごくうでん)に、秘仏として安置されています。ここは浅草寺でも最も神聖な空間です。ご本尊さまを安置している御宮殿内部は、上段にご本尊さまを納めたお厨子が、下段にはご本尊さまのお身代わりの「御前立ご本尊」や、徳川一族などの自分用につくられた観音像が安置されています。この御宮殿の左右には「梵天」「帝釈天」の像が置かれ、さらにご本尊の脇侍として「愛染明王」「不動明王」が置かれています。
本堂参拝のときには内陣にも上がって、観世音菩薩さまを見てみましょう。

また本堂外陣の見どころは、正面上に掛けられている書、天井の絵です。
書は、江戸時代の儒教者・能書家の深見玄岱(1649~1722)の筆で「施無畏(せむい)」。意味は、人びとの不安や恐怖を取り除き「畏れ無きを施して」下さるという観音さまのおはたらきのことを書き表しています。
天井絵は、三面の大作で、中央が川端龍子画「龍之図」、その左右には堂本印象画「天人之図」「散華之図」で、江戸時代の参拝者は天井の絵にも祈願をしていたようです。

お水舎(おみずや)

沙竭羅龍王像(高村光雲 作)

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本堂に参拝する前に、身を清める場所です。このお水舎にも芸術的作品が施されていて、身を清めながら目も芸術作品で楽しませてくれます。
お水舎の天井絵は東韶光画「墨絵の龍」です。さらに高村光雲作「龍神像(沙竭羅龍王像)」が安置されていますが、仏法を守る龍王の一人です。龍や龍神というと水を司る神を意味します。
この龍神像は、かつては本堂裏手に噴水があり、そこに安置されていたものを本堂のお水舎へ移したものです。

五重塔

五重塔(南側から見た全景)

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仏教の言葉でお釈迦さまのご遺骨を仏舎利と言いますが、その仏舎利を安置させておく建物が塔の役割でした。この浅草寺にも1966年(昭和41年)にスリランカ国、イスルムニア寺院より正式に戴いた仏舎利が五重塔の最上階に納められています。
江戸時代には上野寛永寺の五重塔、芝増上寺の五重塔、谷中天王寺の五重塔と浅草寺の五重塔で「江戸4塔」とされていました。浅草寺の五重塔は江戸時代の絵師の一大モチーフであり、浅草のランドマークなのでした。

影向堂(よごうどう)

影向堂

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本堂の北西にある寄棟造りのお堂が影向堂です。1994年(平成6年)に浅草寺中興開山慈覚大師円仁生誕1200年を記念して建てられたものです。影向というのは観世音菩薩の活躍に協力する仏様を「影向衆」と呼び、影向堂には生まれ年(干支)ごとの影向衆をお祀りしています。堂内は内陣と外陣に分かれていて、内陣の須弥壇中央には聖観世音菩薩を、その左右に千手観音(子年)、虚空蔵菩薩(丑寅年)、文殊菩薩(卯年)、普賢菩薩(辰巳年)、勢至菩薩(午年)、大日如来(未申年)、不動明王(酉年)、阿弥陀如来(戊亥年)が祀られています。
外陣には、七福神の大黒天を祀っています。元々インドでは大黒天は寺院の守護や豊穣を司る神でしたが、日本では袋を担ぎ俵の上に乗る福の神となっています。

薬師堂

石橋

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薬師堂には本尊薬師如来や日光・月光菩薩、十二神将、十王の群像が安置されています。堂内には上がることはできません。
この薬師堂は、かつては本堂の北側にあり「北薬師」と呼ばれていましたが、1649年、徳川家光が本堂北西に再建しました。近くに小さな橋があったので、家光によって「橋本薬師堂」と名付けられ1994年(平成6年)に現在地に移されました。

二天門

二天門

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二天門は、門をくぐり抜けるとすぐ目の前が本堂です。この門は、右に持国天、左に増長天を構えてあり、この二体は四天王に数えられる仏さまです。仏教では守護神とされていることから武装の姿に造られています。
おもに仏舎利が納まる仏塔やお釈迦さまの周囲に安置されることの多い仏像です。二天門にある額は大政大臣 三条実美(さんじょうさねとみ)(1837~1891)筆「二天門」を1883年(明治16年)に奉納し、この年から「二天門」と称されています。

■見逃しがちだけど押さえておきたい!浅草寺境内のおすすめスポット

浅草寺三社祭

浅草寺には、まだまだ見どころあるスポットがあります。浅草寺入り口近くにある「伝法院」「弁天山」、そして本堂奥にある「浅草神社」や「三峰神社」など、庭園や興味深い歴史のある神社など基本のコースを回ったあと、立ち寄りたいスポットを紹介します。

伝法院

茶室天祐庵(伝法院内)

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伝法院は、浅草寺入ってすぐ左手にあります。住職の修行の場などに使われており、一般に開放はしておりません。庭園は大きな池や小径が巡らされた回遊式庭園で、四季折々の変化が楽しめます。庭園を造ったのは小堀遠州(1579~1647)で作庭家として有名な近江の大名です。
客殿には、阿弥陀三尊像が安置され、徳川歴代将軍や浅草寺歴代住職の位牌が安置されています。庭園は国の名勝に、園内建物は国の重要文化財に指定されています。不定期では特別公開があり、その日に限り見学できます。

弁天山

時の鐘

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本堂南東に小高い丘があり、弁財天を祀る弁天堂が建っていて、その丘を弁天山と呼んで親しまれています。弁財天は池の中に祀られることが多く、この弁天山もかつては池がありましたが、現在池は埋め立てられています。
また、弁天山には由緒ある鐘楼があり「時の鐘」として大切にされています。今は大晦日の「除夜の鐘」や日々の定時に時を知らせています。

浅草神社

浅草神社

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浅草寺本堂のさらに右手奥へ進むと浅草神社があります。浅草神社は推古天皇36年のころの、浅草寺の最初の住職土師真中知の没後、その跡取りの子が、観世音の夢のお告げを見て「檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)」「土師真中知命(はじのまつらのみこと)」「檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)」の三人を神として祀ったのが三社権現神社(浅草神社)のはじまりとされています。
今も「三社さま」として親しまれ五月の三社祭は有名なお祭りです。また社殿は国の重要文化財に指定される貴重な建築物になっています。

三峰神社

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三峰神社(拝殿)

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三峰神社は浅草寺本堂の左横に位置しています。この神社は日本の神、日本武尊(やまとたけるのみこと)が国生みの神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのがはじまりです。
家内安全・商売繁盛、開運・厄除などさまざまな祈願に多くの人びとが訪れています。
また節分には「ごもっとも神事」という珍しい神事が執り行われ霊験あらたかと言われています。

■浅草寺のおすすめグルメ

天丼

浅草寺を訪れたら、ぜひ行きたい浅草グルメ。大きなエビの天ぷらがうれしい「浅草 大黒屋」です。丼からはみ出すほどのエビやきすなどの下町のおいしい魚介を、てんこ盛りに盛ってくれます。ボリューム満点で、しっかりとしたタレがまたおいしい、丼です。
ほかにも刺身やみそ汁もあり、浅草のおいしい魚介の天ぷらはぜひおすすめの一品です。海外の観光客にも人気です。場所は浅草寺から徒歩約3分です。

■「浅草寺」へのアクセス情報

「浅草寺」までのアクセスは、東武スカイツリーラインで浅草駅より徒歩5分、東京メトロ銀座線で浅草駅より徒歩5分、つくばエクスプレスで浅草駅より徒歩5分、都営地下鉄浅草線で浅草駅A出口より徒歩5分です。浅草寺には駐車場はありませんので電車での利用をおすすめします。

「浅草寺」は、東京の観光名所でありながらその歴史は、歴史上の将軍などの信仰を集めた、古代から霊験あらたかな仏閣でもあります。そして、霊験あらたかな部分は、現代の人びとにはあまり知られていないかもしれません。
観光名所のイメージが強く、神聖で宗教的な場所でもあるのが浅草寺なのです。観光と神聖な信仰の場、そして日本の歴史上の将軍や武者たちの、勝利祈願の場でもあるのが「浅草寺」なのです。

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