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原爆ドームの概要&魅力
原爆ドームはもともと広島県物産陳列館として1915年に建造され、被曝当時は官公庁の施設として使われていました。原爆投下の爆心地はわずか160mほど離れた地点で、周辺が一瞬にして焼け野原になった中、全壊を免れたのはまさに奇跡と言えます。しかしその衝撃は大きく、内部は全焼し2階・3階部分の外壁はほぼ破壊され、中にいた人たちも全員亡くなりました。
戦後、周囲に建物がほとんど残っていない中、骨組みと一部の壁を残して立つ姿は目立ち、自然と「原爆ドーム」と呼ばれるようになります。それでも終戦直後は倒壊の危険があることや、原爆の悲惨な記憶を思い起こさせるとして取り壊しを希望する声も多く上がっていました。しかし、戦争の記憶を風化させないためにと保存運動に乗り出した人々のおかげで、現在もその姿を留めています。
来訪者の多くが「意外と小さい」という感想を持ちますが、それは周辺に大きくて近代的なビルが立ち並んでいるためです。モダンな建物の中に骨組みだけの姿を残すドームは、より一層原爆の破壊力と恐ろしさを強調しており、戦争の悲惨さを今に伝えるという役目を立派に果たしています。広島から世界に平和と核廃絶を訴えるシンボルと言えます。
原爆ドーム観光の見どころ
原爆ドームは、戦後3回の補強工事を行ったことで被爆直後そのままの姿を保っています。保存と安全のため、中に入っての見学はできません。柵の外から見る形になりますが、注目したいのはやはりそのドーム部分です。
元の建物は3階建ての煉瓦造りで、真ん中に5階まである階段室があり、その上に銅板を貼った楕円形のドームが乗せられていました。設計はチェコの建築家が行なっており、木造の建物がほとんどだった当時としては相当にモダンな建物だったことが想像できます。その建物の象徴だったドーム部分がむき出しの鉄骨を晒している様子には、原爆の恐ろしさをリアルに感じさせる迫力があります。
さらに、崩れた状態で残るレンガや、黒ずんだ石造りの壁も原爆の破壊力をひしひしと感じさせてくれます。なお、夜はライトアップされているので遅くなってからでも見学が可能です。
原爆ドーム周辺観光の見どころ〜平和記念公園
原爆ドームから元安川を渡ったところにある平和記念公園には、広島を象徴する記念碑や供養塔などが多数あります。その中から特に注目されているスポットを紹介しますので、ぜひ参考にしてください。公園自体も広々とした景観の良いもので、広島市民や観光客の憩いの場所ともなっているため、観光の際の休憩や散策に訪れるのにも最適です。
原爆の子の像
原爆ドームから元安橋を渡ると右手に見える、両手をあげた少女と折り鶴の像です。こちらは、2歳の時に被爆して10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんをモデルに作られました。千羽鶴を折ったら回復すると信じ、病床で折り紙を続けた話が有名で、被爆の影響で亡くなった犠牲者の象徴となった少女です。
公園内ではあちらこちらでカラフルな折り鶴を見かけますが、これらは禎子さんのエピソードから始まったものです。平和の祈りの象徴として現在も国内外から寄贈が続いており、年間1千万羽、重さにして10トンにもおよぶ折り鶴が捧げられています。なお、折り鶴の寄贈は現地で行うか、広島市役所に郵送することもできますので、興味のある方は下記のウェブサイトをご覧ください。
広島市
「折り鶴と原爆の子の像について」
レストハウス
原爆の子の像の向かい辺りに位置する白っぽい建物がレストハウスです。戦前に大正呉服店として建てられ、頑丈なつくりであったため原爆投下時に全壊を免れたものの、中は全焼して大半の方が亡くなりました。1人だけ奇跡的に軽傷で済んだ方が爆弾投下時に降りていた地下室は、今も当時のままに残されています。損壊した地上部分は戦後すぐに修復され、市の復興事務所として使われました。現在では広島の観光案内所として休憩所や土産物店も兼ねており、常に多くの観光客で賑わっています。
なお、原爆ドームや平和記念公園はその性質上オリジナルのお土産は少ないのですが、こちらでは折り鶴を再利用した缶バッジなどの購入が可能です。また、スノードームやマグネットなどもありますので、平和祈念の旅の思い出として何か持ち帰りたいという方はショップを覗いてみましょう。
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という有名な碑文が刻まれているアーチ型の記念碑です。原爆犠牲者を雨露から守るという意味でこの形になりました。向こうに原爆ドームを望めるアーチの中央には石室があり、国内外で被爆により亡くなった人々の名簿が収められています。また、オバマ前大統領が来訪した際、こちらに献花してスピーチを行ったことで世界的にも知られるようになったスポットです。
平和の灯(ともしび)
上記の記念碑から平和の池を挟んだ向かいの平和の灯は、1964年に点火されました。以来、核が廃絶されるまで消さないという計画で、絶えることなく燃やされ続けています。建築家の丹下健三氏によってデザインされた土台は空に向かって両手を広げた状態を表しており、平和の池とともに犠牲者に水を捧げる役割も持っています。
国立広島原爆死没者平和祈念館
慰霊碑の近くにある丸い形の建物です。被爆して亡くなった犠牲者の方を追悼するため、2002年に建設されました。同様のものが長崎にも存在します。地下2階には慰霊の場として、爆心地から見た被爆後の町並みをパノラマで表現した死没者追悼空間があります。このパノラマは、被爆直後から年内中に亡くなった犠牲者数約14万人と同じ数のタイルで作成されたものです。また、中央の水盤は犠牲者の霊に水を捧げるとともに、投下時刻である8時15分を示すモニュメントとなっています。
祈念館は他にも、膨大な資料を収集・保管する役割も果たしています。地下1階の体験記閲覧室では、10万を超える体験記や証言ビデオを自由に閲覧できます。見やすい映像による解説もあり、入館は無料なので、原爆のことを学びたいときはぜひ利用しましょう。
国立広島原爆死没者平和祈念館
- 〒730-0811広島市中区中島町1−6
- 082-543-6271
- 8月 8:30-19:00(8月5日、6日は20:00まで)12月〜2月 8:30〜17:00 それ以外8:30〜18:00
- 12月30日、31日
- 入館無料
被爆したアオギリ
資料館の側には、被爆樹木であるアオギリが2本あります。爆心地から1.3km離れた場所で被爆し、幹が半分焼けた状態から蘇ったことから、復興の象徴とされています。1973年に現在の場所に移植されました。また、この木から取れた種子から育てた「被爆アオギリ2世」の苗木は、広島の平和活動を伝えるために世界中に移植されています。
広島平和記念資料館
公園の中心に位置し、本館と東館の2館で展示が行われています。こちらには原爆で焼かれた服などの遺品、当時の写真などの資料が展示されており、悲惨さを肌で感じられます。見るのが辛いという人も多く、決して楽しい展示ではありませんが、平和のありがたさや大切さを実感できると評価の高い資料館です。さらに、原爆投下に至った経緯を解説する展示では戦争の背景を学べるので、歴史に興味がある方にもおすすめできます。
広島平和記念資料館
- 〒730-0811 広島県広島市中区中島町1-2
- 082-241-4004(総合案内)
- 8月 8:30~19:00(8月5日、6日は20:00まで)12月~2月/8:30~17:00 それ以外8:30~18:00
- 12月30日・12月31日
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