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※2024年4月27日の為替価格です
実際どれくらいかかる? イタリア旅行の予算を解説
パッケージツアーでは、安い時期で20万円代、高い時期には60万円を越す場合もあるでしょう。飛行機やホテルのランクを上げれば100万円を越します。飛行機とホテルをインターネットで予約する場合は、時期やホテルのランクにこだわらず経由便でも構わなければ10万円代から20万円前半で手配できる場合もあります。直行便は割高です。ホテルを単独で手配する場合は、1泊の料金はスタンダードクラスで10,000~20,000円、スーペリアクラスで20,000~32,000円、デラックスクラスで32,000円~が目安です。そのほか、現地での交通費や観光スポットへの入場料、食費、お土産代などで1日あたり1万円から1万5千円くらいはみておいた方がよさそうです。
イタリアの治安は大丈夫?気をつけるべきエリアや治安
残念ながら日本と比べるとイタリアは治安がいいとは言えません。マフィアの闘争は映画の中の話で、日本人が巻き込まれることが多いのは、スリや置き引き、詐欺などです。現地の人より無防備な観光客を狙うので、ローマ、ナポリ、ミラノ、フィレンツェ、ベネチアなど有名な観光地での被害が多いです。荷物は身体から離さないことです。空港では置き引きやスリ、無認可のタクシーに注意して下さい。駅や地下鉄の車内は混雑している時間帯が危ないです。ナポリのような南イタリアの夜間は特に危険度が高いです。比較的安全といわれるフィレンツェでも夜間の一人歩きはやめましょう。昼間でもいかにも観光客、と言った行動は避けるようにして下さい。
本場イタリアンを楽しむために気をつけたいこと
旅の楽しみの一つは食事です。心おきなく本場のイタリアンを味わうために、日本とは違う主なマナーを紹介します。まず、パスタはフォークだけで食べます。パスタを少量すくいフォークを立てて巻きつけます。巻き残りをすすりこむのはやめましょう。うまく一口分を巻き取れるように、普段から練習しておくといいですね。また、正式なイタリアンのコースの場合、パスタは前菜で、メインの魚料理か肉料理を合わせて頼みます。何人かで行くといろいろな料理を取ってシェアしたくなりますが、基本は1人1皿です。食後のコーヒーはエスプレッソです。イタリアでは食後の飲み物をゆっくり味わう習慣はないので、サクッと飲んで切り上げましょう。
プレビシート広場周辺でおすすめの観光スポットを紹介!
■プレビシート広場
ナポリ王宮の正面にある広場。広場の中央にはアントニオ・カノーバの作品でブルボン家カルロス3世と、この広場を造ったフェルディナンド1世の像がある。プレビシート(市民投票広場)の意味で市民投票にてシチリア王国からイタリア王国へ併合が決められたことから由来している。
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■アウグストカプリ庭園
■サン フランチェスコ ディ パオラ聖堂
■ガッレリア・ウンベルトⅠ世
ガッレリア・ウンベルトⅠ世は、イタリアのナポリにあるガレリアです。建物の設計は、エマヌエーレ・ロッコとアントニオ・クッリ。1884年、ナポリにコレラが大流行した後、街の美化と復興を目的として築かれました。
完成は1890年、ミラノにあるヴィットリオ・エマニュエーレ2世のガレリアを模したといわれます。2つの通りが十字に交わる部分の屋根はガラスと鉄を使用した高さ58mのドームになっており、床には12星座のモザイクがある美しさです。
イタリア国王1世ウンベルト1世にちなんだガレリアには、おしゃれなカフェやショップが並び、天気に左右されることなく楽しめます。
■Galleria Borbonica
Galleria Borbonicaはイタリアのナポリ造られた地下トンネルです。キアイアエリア一帯の地下には、ナポリ王宮とナポリ湾にある兵舎を結ぶための地下高架橋があります。
これはナポリ市民による革命を恐れたブルボン家の王、フェルディナンド2世が造らせました。言わば王家のための避難ルートで、設計は建築家のエリコ・アルヴィーノによるものです。地下30mの地点に掘られたトンネルは結局、未完成で終わりました。第二次世界大戦では市民の避難場所としても利用されていた場所で、入り組んだ地下空間はガイドツアーに参加して見学することができます。
■Underground Naples
Underground Naplesは、ナポリにある紀元前の地下都市です。2500万年前の遺跡として重要なものとなっています。地下へ向かう入り口は路地裏の民家にあり中をしばらく進むとまた地上に戻ったり、まるで古代のトンネルの迷路のようです。
地下都市の歴史をさかのぼると、古くはナポリの埋葬場となるカタコンベとして、古代ギリシャ人はこの地の凝灰石を掘り寺院の建設に利用していました。
アウグトゥス時代にはローマ人により地下水道網が開発され、第二次大戦ではシェルターとして、また戦後はゴミ捨て場となったのです。ブルボン家の逃げ道が造られたのも地下空間で、ナポリの歴史興味深く学ぶことができます。