このページではトリエステにある歴史スポットを紹介しています。旅行の醍醐味は、名物料理や美しい景観、街の雰囲気など、その土地ならではの体験です。城や史跡などの歴史スポットでは、街のルーツと変遷を知ることができ、旅の楽しさもいっそう深まります。著名な映画や小説の舞台として使われてきた建物を訪れれば、物語の世界を体感できます。教会や寺院などの宗教施設に行けば、美しく荘厳な空間に心が洗われるでしょう。
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トリエステ - 海岸・海,モニュメント・記念碑,城・宮殿,寺院・教会,史跡・遺跡,広場・公園,旧市街・古い町並み
トリエステ駅(トリエステ中央駅)はイタリア北東部にあるトリエステにある鉄道の駅です。駅は市内の中心部より少し北に位置しているリベルタ広場がある場所にあります。またトリエステ港に隣接しています。 1857年に駅として開業し、ヴェネツィア、ウディネ、ウィーンへの直通列車の終点駅として知られており、2007年には駅が改修されています。 スロベニアと国境を接している街で、首都リュブリャナやクロアチアへも日帰りで行ける場所です。街自体はアドリア海に面した美しい坂の街としてしられており、駅は主要観光の中心となっています。今回は、そんなトリエステ駅周辺の見どころについて紹介します。
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トリエステ - 寺院・教会
サン・ジュスト大聖堂は、イタリアのトリエステにある大聖堂です。トリエステの街中から石畳の道を上っていった先にあるサン・ジュストの丘の頂上に位置している大聖堂で、その歴史は5世紀頃にまでさかのぼります。 最初にこの土地に教会が作られたのは5世紀頃といわれていますが、その後教会は一度取り壊され、その跡地に2つの教会が建築されました。現在のサン・ジュスト大聖堂は、その2つの教会を繋げたものとなっています。教会内では1930年代に作られたモザイク画などを見ることができ、厳かな色合いでまとめられた不思議な雰囲気の中、見学を楽しむことができます。
トリエステ - 城・宮殿
ミラマーレ城はスロベニア国境とイタリア北東部トリエステの近郊にあるお城で、アドリア海を望む場所に位置します。1856年~1860年にかけてマクシミリアン大公によって築かれ、内部には中国や日本の部屋があるあらゆる建築様式を取り入れた建造物になっています。 庭園や温室がある広さ22ヘクタールの植物園があり、のんびりと過ごせる場所です。ミラマーレ城を築いたマクシミリアン大公はのちにメキシコの皇帝になりましたが、メキシコ統治がうまくいかず銃殺刑に処せられます。そのためこのお城で暮らしたのは、メキシコに渡るまでのたったの4年間だったと言われています。
トリエステ - 城・宮殿
サンジュスト城は、イタリアのトリエステにある城です。トリエステの市街地を望む丘の上に位置しており、トリエステ駅からは南方向に役2kmの場所となっています。サンジュスト城が位置する丘は紀元前1000年頃の鉄器時代の頃から砦として使用されていたとされており、その後共和制ローマの時代にも、この場所は要塞として活躍しました。 やがて寺院やバジリカといった政治の中心を担う重要な建物が建設され、15世紀から17世紀の間にかけてこの城塞は作られました。城の完成後は敵軍から攻撃されることもなかったため、当時の状態がそのままに保存されているのが特徴です。かつては牢獄や指揮官の居城としても利用されました。
トリエステ - 寺院・教会
東方正教会は、イタリアのトリエステにある東方正教会の聖堂です。18世紀頃、トリエステは自由港とされていたため、周辺国であるギリシャやセルビアからも多くの人が出入りしていました。彼らはやがて共同体を形成し、それぞれの宗教のために聖堂を建設したのが始まりとされています。 聖堂はビザンティン様式が取り入れられており、青いドームを有する外観が特徴となっています。この教会は現在も信者によって使用されており、頻繁にミサが開催されているほか、観光客は内部に入って見学することも可能です。ドームの内部には美しい装飾が施されており、一見の価値があります。
トリエステ - 史跡・遺跡
Kleine Berlinは、イタリアのトリエステにある、第二次世界大戦時に使用された地下防空壕跡です。1943年にトリエステはアドリア海沿岸作戦地域の舞台となったこともあり、ドイツ軍によって多数の軍事防衛施設が整備されました。 この防空壕は主にトリエステの裁判所地域で生活する兵士や市民従業員を守るために建設されました。この防空壕はイタリア側によって建設されたエリアとドイツ側によって建設されたエリアの2つが統合された造りとなっており、異なる構造を見学することが可能です。現在は戦争の歴史を伝える見学施設となっており、観光客はトンネル内やシェルター部分などを見学することができます。
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