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京都の梅雨の基本情報
京都の梅雨の時期と気候
京都の梅雨は、6月~7月中旬ごろにかけになっています。6月は、平均気温は23.3℃、7月に入ると26.8℃になっており、梅雨入りとともにじめじめと京都らしい蒸し暑さが増していきます。ただし、雨の日はその日によって冷える日もあり、気温の変化が激しいので、羽織ものなどで調節できるような服装がおすすめです。
京都の梅雨の時期を代表する行事
京都の梅雨の時期に行われる有名なお祭りは、例年6月5日~6月末にかけて、宇治の県神社で行われる「県祭」です。深夜に、沿道の灯火をすべて消し、暗闇で梵天渡御を行う一風変わったお祭りで、別名「暗夜の奇祭」とも呼ばれており、お祭りの期間中は、5000件を超える露店が軒を連ねる、宇治でも最大規模のお祭りとなっています。
京都の梅雨の花の名所
梅雨の花と言えば、やはり一番人気なのが紫陽花。雨露に濡れた紫陽花は、さらに美しさを増しています。そんな紫陽花の名所として名高いのが宇治にある「三室戸寺」。5000坪の大庭園に、50種10000株を超える紫陽花が美しく咲き誇り、別名「紫陽花寺」とも呼ばれています。中には、ハート型に咲く紫陽花があり、特に珍しい赤いハート型の紫陽花を見つけると幸せになれると言われ、話題沸騰中です。
梅雨の京都で味わいたいグルメ
梅雨の京都で味わいたいグルメ:食事編
6月からの梅雨の京都で味わいたいグルメと言えば、川床。鴨川沿いのさまざまなレストランが床を出し、川のせせらぎを聞きながらゆっくりと食事を楽しめます。6月の中頃からは、鮎漁が解禁され、鮎の塩焼きなども楽しめます。雨のでも楽しめる屋根付きの川床もあるので、ぜひ楽しんでみて下さい。
梅雨の京都で味わいたいグルメ:スイーツ編
京都には、たくさんの魅力的なスイーツがありますが、梅雨の時期だけ味わえると評判になっているのが、京都の超人気店「茶寮都路里」伊勢丹店でのみ味わえるその名も「あじさい」。紅芋クリームとゼリーで紫陽花の花を、抹茶クッキーで葉を表現し、ビスキュイで作られたカタツムリもかわいらしく、インスタ映え間違いましです。新茶ゼリーの爽やかさと上品な甘みのクリームやアイスが絶妙です。
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雨に濡れないお寺めぐり
お寺の庭。真っ赤なもみじに、コケむした岩、大きな松、池の鯉。有名なお寺には有名な庭。庭があってこそのお寺ですね。川の流れを石で表現した枯山水(かれさんすい)、盛り土の築山(つきやま)など。建物のなかから眺める借景タイプ、散策しながら楽しむ回遊タイプ、どちらも観るものを楽しませてくれます。
その庭は雨で濡れると、いっそう情緒豊かになりますが、雨でも建物のなかから眺めて楽しむ借景タイプの3カ寺をめぐりましょう。京都人に愛される京福電車、別名「嵐電(らんでん)」の1日乗車券を手に、ゴトゴト揺られて出かけます。
■天龍寺(てんりゅうじ)
観光スポット嵐山。渡月橋に遊船にトロッコ列車と私たちを楽しませてくれます。ぶらぶら歩きで雨が、そんなときには天龍寺にどうぞ。嵐電・嵐山駅のすぐ向かい。庭園は約700年前の創建にまでさかのぼり、夢窓が作庭した当時の面影をとどめています。
日本で最初の史跡・特別名勝として指定された池泉回遊式の庭園は、池の正面に2つの大きな岩を龍門の滝に見立てているとか。雨の日でも、縁側をそぞろ歩きすれば雨に濡れず境内を移動できます。もちろん晴れた日には散策して楽しみましょう。
この天龍寺の始まりは、足利尊氏が後醍醐天皇を弔うため、この嵯峨の地にあった離宮を寺に改めたこと。尊氏は鎌倉時代、後醍醐天皇の治世に反旗を翻した人物として知られ、対する天皇側は尊氏の討伐を指令。後醍醐天皇の死去を弔う寺院の建立を尊氏に強く薦めたのは、武家からも尊敬されていた禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)でした。
お寺の名前は、尊氏の弟・足利直義が、黄金の龍が保津川に舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」。武家が建てたはじめての寺です。京都五山の筆頭として栄えたのですが度重なる災害に見舞われ、多くは明治後半以降に再建されたものです。
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臨済宗天龍寺派大本山 天龍資聖禅寺(天龍寺)
- 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68(渡月橋を北へ5分)
- 075-881-1235
- 8:30~17:30
- 京福電鉄嵐山線「嵐山」駅下車、拝観有料
■龍安寺(竜安寺)
有名な金閣寺。雨に濡れても金箔のまぶしさは周囲を圧倒させますね。雨降りの日には、その金閣寺から歩いてすぐの龍安寺もたずねてください。枯山水の石庭で海外にも名が通った禅寺です。海外では、「禅」がブーム。座禅を組んだり、ココロを落ち着けたり。石庭を眺めて、瞑想にふけってみるのはいかがですか。
龍安寺の庭石、数は15。しかし、一度に15個、全部を見ることはできません。そもそも、この15という数字は十五夜、満月に因んだもの。完全無欠、満月のように丸い真円を表す古事で、記紀にも15という数字は頻出します。それは明治維新以前の日本は、太陰暦。月の満ち欠けを暦に使ってきました。古くから氏神様の祭事や、田植えなどの農作業では旧暦を使い、いまでも8月15日前後の「旧盆」は旧暦に由来しています。さらに中国では毎年2月の旧正月がビッグイベントであるなど、旧暦が大切にされている地域があります。
さて、この15個の庭石。どこから見ても一つは欠ける。人間には完全な人はいない、どこか欠けているから人間なのですよ、と暗に示しているものです。水面に浮かぶ波紋のように、小石を掃き清められた、静と美。雨粒にしっとり濡れて、白い石がきらきら輝きます。光の加減で幽玄な世界に引き込む龍安寺。飽きることのない鑑賞です。
■等持院(とうじいん)
学問の神様、天神さん。京都では、菅原道真を祀った北野天満宮です。大きな境内で、命日にちなんだ縁日には何百もの屋台が並びます。雨の日には、西へ歩いて15分のところに、緑豊かな等持院があります。大きな庭園は借景・回遊ともに楽しめるほか、何よりも京都に栄華をもたらした室町幕府・足利尊氏の墓があり、現在も足利家の菩提寺として、多くの参拝者が訪れています。
尊氏が存命中の1341年(暦応4年)、自分の墓所として築いた等持院。霊光殿には室町幕府のすべての将軍、足利15代将軍と、徳川家康の木像が安置されています。教科書にも登場する有名な像ですよ。余談ですが、徳川家康の像は、家康が厄落としのために作らせたものだそう。戦国時代の武将の血筋、今川家と吉良家、そして徳川家はすべて足利家と同じ血筋を示すために祀られているとか。
さて、天龍寺と同じ夢窓疎石がつくった、ここ等持院の庭。足利家の菩提寺として発展し、北山に大きな寺域を占めていましたが室町幕府の衰退とともに荒廃していきましたが、1606年(慶長11年)に豊臣秀頼によって復興され、住職の住所となる方丈は1616年(元和2年)、妙心寺塔頭(たっちゅう)・海福院から移築されたものがいまでも使われています。庭園は池泉式。池をつくり、大きな石が遠近に置かれ、見るものを室町時代の栄華に誘い込む庭。歴史に思いを馳せながら、静の世界を堪能しましょう。