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【群馬】世界遺産・富岡製糸場の歴史、見学のポイントからアクセスまで徹底解説

2014年に世界遺産に登録されたことで一気に注目を浴びた’富岡製糸場と絹産業遺産群’は、国内だけでなく世界各国からも観光に訪れる人が多い人気スポットです。1872年(明治5年)国内初の官製製糸工場として造られた富岡製糸場は、当時、世界最大の規模を誇っていました。世界遺産だけでなく、2006年に施設の大部分が重要文化財に、また2014年にはその一部が国宝に指定されています。 一工場である富岡製糸場にこれだけの歴史的・文化的価値が認められた背景には、日本の近代化への貢献があります。開国直後、日本では生糸が最大の輸出品でした。明治政府にとって、その生糸の品質と生産量を上げることは近代化に必要な外貨を獲得するため急務だったと言えます。富岡製糸場はこの目的を達成するための模範工場として設立されました。現在も当時の建物がほとんどそのまま保存されており、モダンで先進的なシステムが感じられる点は貴重で、見逃せません。 さらに、日本に西洋文化が入ってきた初期の時代の建築が見られる文化遺産としても注目されています。近代日本の工業化のシンボルとしても、興味深い観光スポットと言えるでしょう。

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更新日: 2023年11月21日

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■世界遺産・富岡製糸場の歴史と役割

糸を繰りとる機械。手作業からどんどん機械化されていきました

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明治初期といえば文明開化の時代で、急激な近代化が進んだ時期です。ちょうどその頃ヨーロッパでは、絹織物の元になる生糸が不足していたため、日本の生糸の需要が一気に高まりました。しかし、まだ手作業で昔ながらの作業をしている養蚕農家や業者がほとんどだったため、肝心の生糸の質と生産量が追いつきません。そこで明治政府が改革に乗り出し、フランス人技術者の協力のもと自ら主導して模範工場を建設したのが富岡製糸場です。その後明治26年(1893年)に民間に払い下げられ、昭和62年(1987年)には操業を停止したものの、幸いなことに大戦中も破壊されることなく、ほぼ建設当時の姿を残したまま今日まで保存されています。

■世界最大級の規模を誇った製糸工場

繰糸機 reeling machine

写真は、製糸場で繭を茹でて糸を採取するために使われていたフランス製の釜です。約150年前、他国の製糸工場では釜数がせいぜい150だったところ、富岡製糸場では300も設置されていました。敷地面積は約55,000平方メートルで、東京ドームの約1.2倍ほどの広さがあります。敷地内には広大な倉庫や作業場だけでなく、フランス人技師たちの住居や労働者のための寄宿舎、診療所、教育・娯楽施設もあり、一つの共同体のような場所を形成していたことが伺えます。

経営は必ずしも黒字ばかりではありませんでしたが、富岡製糸場で生産された生糸の質の良さは、次第に世界に認められていきました。また、製糸技術の向上と技術者の育成という目的を達することで、日本の近代化に大きく貢献しています。その成果があらわれ、1909年(明治42年)には、日本の生糸の輸出量は世界一になりました。

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■日本の近代化に貢献した工女たち

お富ちゃん

工場が開設されると、働き手として全国から工女(女工)が集められました。女工と言うと「過酷な労働環境で低賃金」というイメージを持つ人もいますが、この女性たちには良家の子女も多く、高待遇で働いていたのです。近隣の人々から’富岡乙女’と呼ばれる、一種の憧れの職業ですらありました。
彼女たちは、学んだ技術と知識を故郷に持ち帰って広めるという役割も担っていました。中でも有名なのは和田英で、工女募集責任者であった松前藩士の父の影響で自ら工女となった女性です。退場した後は日本初の民営機械製糸場の創立に参加するなど、製糸産業のために力を尽くしました。また、工女時代の思い出を書いた「富岡日記」という本は現在も読み継がれています。ちなみに富岡市のゆるキャラ’お富ちゃん’の前身であるおエイちゃんのモデルにもなっているのが、この和田英です。

■【見どころ】明治情緒を感じる建造物

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富岡製糸場の敷地内には、当時モダンで先進的だった、レンガの壁で出来た西洋式の建物が立ち並んでいます。建設当時日本にはレンガ職人が少なく、フランス人技師たちは瓦職人にレンガの作り方から指導しなくてはなりませんでした。その結果建てられた建物は、壁はレンガで屋根は瓦葺といった和洋折衷の独特なもので、その風貌から文明開化の雰囲気を感じられます。また、指導者として招かれたポール・ブリュナをはじめとする技師たちや、技術を教えていたフランス人女性などの住居は、コロニアル様式で造られました。コロニアル様式とは周囲にベランダを張り巡らす西洋建築のスタイルで、他には長崎のグラバー邸などに使われています。明治時代のレトロな趣きが感じられ、建築に興味がある方にも見応えがある建造物です。

国宝の建造物3棟

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繰糸所内の様子。内部に柱を使わない建築法により、スペースを最大限に利用しているのが特徴

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1. 操糸所
機械化が進む以前、繭から糸を取るには釜に入れて茹でてほぐし、繰りとる作業が必要でした。その工程が行われていたのがこの操糸所で、140mもの長さがある巨大な空間です。現在は昭和40年以降に入れられた自動操糸機が並んでいますが、明治時代には金属製の釜がずらりと並べられ、一つ一つに女工がついて手で作業を行なっていました。

2. 東置繭所(ひがしおきまゆじょ)
入口の門を入ると正面に見える横長のレンガ造りの建物で、幅は104mあります。1階が事務所、2階が乾燥した繭を保管する倉庫として使われていました。内部を見学することのできる、数少ない建物のうちの一つです。

3.西置繭所(にしおきまゆじょ)
こちらも東置繭所と同じく2階部分が繭用の倉庫として、また建物1階の一部は蒸気機関のための石炭置き場として、壁がない状態で使われていました。現在見られるレンガの壁は昭和後期に新たに積まれたものです。

■世界遺産・富岡製糸場へのアクセス方法

●電車の場合
・上信電鉄・上州富岡駅から徒歩で約14分(1.1km)
・駅前にタクシー乗り場あり
駅情報(時刻表へのリンクあり)はこちらから→ 富岡市観光ホームページ

※高崎から電車を利用する際に使える、お得な記念乗車券が出ています。上信電鉄の往復乗車券と入場料がセットになって、通常価格より440円(大人)お得です。途中下車も1回まで可能で、高崎駅で当日購入できます。

富岡製糸場往復割引乗車券

●車の場合
・上信越自動車道の富岡ICから約10分(4km弱)
※ただし、車での乗り入れができないため、近隣の市営駐車場を利用する必要があります。

富岡製糸場周辺の駐車場情報

富岡製糸場

〒370-2316 群馬県富岡市富岡1-1
0274-64-0005
9時~17時(最終入場16時30分)
年末(12月29日~31日)
http://www.tomioka-silk.jp/tomioka-silk-mill/visit/

■入場料・入場券の購入方法

●入場料
・大人1000円
・高校生・大学生250円(学生証の提示が必要です)
・小・中学生150円(未就学児は無料)
障害者手帳をお持ちの方と介護の方1名は無料です。また富岡市民の方も無料ですが、運転免許証など住所が確認できるものが必要です。

●見学券の購入場所
入口にある券売所の他、下記の観光案内所・土産物店でも購入が可能です。
仲町まちなか交流館  製糸場から徒歩3分の至近距離にあり、お土産も購入できます。
まちなか観光物産館「お富ちゃん家(ち)」  こちらも至近距離にあり、無料の休憩スペースもあることから観光前後に立ち寄るのがおすすめです。

●ガイドツアーのすすめ
昔の工場がそのまま残っていることに意味がある富岡製糸場は、観光スポットとしてはやや地味な印象を受ける人が多いです。目を見張るような華やかさや、一見してわかる面白みがある場所ではありません。そのため、文化遺産としての価値を理解し、見学をより楽しむためにはガイドツアーに参加するのがおすすめです。専門のガイドがついて、敷地内を説明しながら案内してくれます。(所要時間40分)
・ガイドツアー料金 大人200円 中学生以下100円

ガイドをつける時間的余裕がない方、自分のペースで周りたい方は音声ガイド機の貸出(200円)を利用しましょう。

■世界遺産・富岡製糸場の周辺観光地

養蚕の歴史を学べる【絹産業遺産群】も忘れずに!

質の良い生糸を取るには、まず良質な繭が必要です。その繭を産出するための養蚕業について学べるのが「絹産業遺産群」で、富岡製糸場とセットで世界遺産に登録されました。富岡市周辺の3つの施設で構成されており、それぞれ伊勢崎市・下仁田市・藤岡市に保存されています。製糸場からやや距離があるのが難点ですが、当時の養蚕農家の様子がよくわかる興味深い遺産群です。時間があったらぜひ立ち寄ってみましょう。

田島弥平旧宅

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田島弥平は江戸末期から明治時代にかけて活躍した、養蚕業の発展に大きな功績を残した人物です。自宅と納屋を改築して蚕室とし、換気方法を研究して「清涼育」を確立しました。また『養蚕新論』『続養蚕新論』を著したことでも知られ、晩年には緑綬褒章を受けています。伊勢崎市に残る旧宅には、現在も田島家の子孫が住んでいるため内部の見学は出来ず、外観と庭までしか見ることができません。その代わり、徒歩5分の場所に市が設置した’田島弥平旧宅案内所’で資料やパネルを見られます。

【田島弥平旧宅の住所】 群馬県伊勢崎市境島村甲2243番地(案内所から徒歩5分)

田島弥平旧宅案内所

〒370-0134 伊勢崎市境島村1968番地378
0270-61-5924
午前9時~午後4時
年末年始
http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1359453183548/

荒船風穴

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蚕は本来、自然の気候に合わせて年に1サイクル(春蚕)のみ生育して繭を作ります。しかし明治時代になって、年間を通して涼しく温度差のない風穴を利用することにより、卵がかえる時期をずらすことに成功しました。その結果、1年に2、3サイクルと蚕を飼育することができるようになり、大量の繭を供給することが可能になったのです。その風穴が見られるのが群馬県甘楽郡下仁田町にある荒船風穴で、地元の養蚕家・庭屋静太郎により1905年(明治38年)に建設されました。蚕種貯蔵施設として全国一の貯蔵量を誇った風穴では、今もひんやりとした冷気を感じられます。ただし現場は山腹に位置しており、駐車場からも急坂を登らなくてはなりません。見学の際は必ず歩きやすい服装と靴で向かいましょう。

荒船風穴

群馬県甘楽郡下仁田町大字南野牧字屋敷甲10690
0274-82-5345(教育委員会教育課)
午前9時半から午後5時まで
無休(ただし12月1日から翌3月31日までの冬季は閉鎖)
見学料500円(町外からの見学者・大人のみ)
http://www.town.shimonita.lg.jp/fuketsu/m01/01.html

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